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六時半くらいに起きる。
千春さんは自力整体、というのがある日で、その日は朝飯を食べない。ひとりぶんの卵焼きを作る。まだ紫蘇はぎりぎり採れる。
トイレ清掃をする。
死について考える。
「おじいちゃんって、和服着てた?」
と千春さんに聞かれる。父方の祖父はシベリアで死んだから、90歳まで生きた母方の祖父のことを話す。
「着物、着てたよ。普段着は和服の方が多かったんじゃないかな。痩せてて、額が後退してて、真っ白な長髪で、いかにも文士、みたいな風貌だった」
「それは見習え」
「生き方を?」
「それはやめて」
酒飲みだったのです。酔っぱらって崖から転落とか、普通にしてました。大鉢にとろろを擦って、日本酒たっぷり注いで、「とろろ酒」とか称するものが好きだったらしい。ちなみにその飲み方は同僚だった青山榛三郎から教えてもらったそうだ。(あおやま・はんざぶろう)と読む。ググれば出てくるかもしれない。郷土の歌人。祖父は彼から短歌を教えてもらった、と言っていた。
祖父も、祖父の父も、祖父の祖父も、短歌やら俳句やらをやっていたそうだ。基本ろくでなしが多い家系。祖父の父は真面目な人だったらしいが、祖父の祖父と、祖父は遊び人だった。隔世遺伝か。あれ、そうなると計算上……。
まあ、自分やってるの川柳だしね。無問題。本当か。祖父と同じ大学出てるし。というか祖父には青少年を国学院に行かせたがる悪癖があった。それはそれとして、千春さん泣かせないようにしよう。もう遅いかもしれんが。
で、この祖父が「死ぬ」と言うことが、子供のころ、本当に怖かった。
風呂に入って、胸に長い深い傷跡を見たことがある。
「何、これ?」
「肺結核やってなあ……」
あんまり語りたくないようだったが、「片方の肺、ないんだ」と言った。
祖父はすぐにでも心臓が止まるんじゃないか、と思っていた。子供だった自分は、人間と言うのは30代を過ぎたら、「走ると心臓が壊れる」動物だと信じて疑わなかった。全く、いま自分が46歳になって柔術やってるなんて想像もしませんでしたよ。それはともかく、祖父が走ってるのを見た瞬間、「やめて! 走らないで!」と叫んでいた。
「死んじゃうよ。おじいちゃん死んじゃうよ」
不吉なガキである。
「死」とか「葬」とか言う言葉を祖父の前で出したら、すぐにもそれが現実化するような気がしてた。そんな言葉を目にしたり口に出したりしたら、「ごめんなさいごめんなさい、神様仏様稲尾様、どうかおじいちゃんをお守りください」と内心唱えていた。すみません稲尾様は嘘です。
実際に、高校生になって、祖父とふたりで奈良へ旅行したら、祖父、心筋梗塞で倒れた。飛鳥地方で、人生初の救急車に乗った。
「案外ゆっくり走るんだな」
と思った。怖かったのだろう。
しばらく奈良県立病院に入っていた。貴花田が活躍はじめて、松本商業高校が甲子園で快進撃してた頃だ。「テレビの使用料がかかる」と、付き添いに奈良まで呼び出された母が不満そうに言っていた。考えてみればこの人も苦労の多い人生だ。
祖父は死にかけた。そして僕は長野県で生活し、手紙のひとつも書かなかった。祖父はいつか死ぬものなのだな、とどこかで考えたかもしれない。言い訳するとすれば、僕は僕で生きるのに大変だったのだ。
結局、死ぬ人間は死ぬ人間で大変だが、生きる人間はそれなりに大変だ、とわかったのかもしれない。
祖父は退院して帰ってきた。
それから20年ばかり、「死」を異常に脅えて、90歳過ぎまで生きた。
祖父が本当に死んだとき、僕は何も怖いと思わなかった。安心さえしていたのかもしれない。
なぜあんなにも「祖父の死」を怖がっていたのか、今は説明できるが、説明しても仕方ないのでしない。
僕は天国も地獄も転生も信じない。信じないというより、そういうものが「ある」とどうしても感覚できないのだ。
だから僕は死んだら消える。この消える、ってこと錯誤してるのかもしれないけど、ありありと実感できる。何もない。少なくとも何もないと感じることもない状態への空想。
自分より若い人たちが死ぬのを見てきた。父も母も妹も妻も友も、必ず死ぬ。生と死は対称じゃない。うまく言えないが、対称ってことを僕はどこかで憎んでいる。それは今気づいた。僕も死ぬ。それは今じゃないけど、そう遠い話でもない。たくさんの後悔も、死んだら消滅する。それは間違いないが、自分で自分を今のところは死なせていない。
(これ、スタバで書いてるが、向こうの席にひどく肥った青年がフラペチーノとケーキ二個をトレイに載せている。後悔とはなんだろう、と考えさせられた。無論、名も知らぬ彼も死ぬ)
祖父、書道教室も開いていた。
それはどうでもいいのだが、自分の墓石にでっかく「愛」の一文字を彫ることはないだろ、と僕はしみじみ思った。墓参り、行っていない。祖父も僕も寅年だった。
夏が終わり、人生の一部が終わる。
斬新な言語遊戯に祖父死ねり 大祐
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