紙の動物園




  メイちゃん(九歳)と遊ぶ日。
「宿題です。これでなにかつくりなさい」と、紙、はさみ、セロハンテープを渡されたので、僕は何を考えていたのか「今川焼きの屋台」を作ってしまった。そんなに今川焼きが食べたかったのか。
 あくまで想像上の今川焼き屋であって、現実の存在とは一切関係がない。
 それでも、あ、鉄板の上に今川焼き載せちゃおうかな、へらで焼くのはお好み焼きか、電子レンジは必須かな、ラジオとか壁にあると「らしい」かな、あ、ゴミ箱も、と空想しながら、形にするのは楽しい。
 模型、という『現象』について考えられるほど、僕は頭がよくないが、それでも、つくるときの愉楽について感想を述べることはできる。
 この世に生まれ落ちて、まわりがぶよぶよと不定形であったころ、少しずつ「形」が出来てゆくのは、動物として本能に適ったことだろう。
 不定形の物を形におさめるのが好きだから、定型詩なんぞ続けているのかもしれない。
 だからと言って、不定形のものが嫌いだいうことはなく、むしろ形未満のブロブに、どうしようもなく惹かれるから、定型への欲求が激しいのだと思う。
 ブロブに形を与える、そうするとブロブへ飢えて、次なるブロブを探しにゆく。
 そんな毎日は、もしかしたら「じぶん」という最も厄介なブロブの蠢きなのだろう。

 ちなみに拙作を見たメイちゃんの感想は、「へん」であった。


 小さいものは、大きいものを映しだす。小さいものは、人間の感覚によって把握することができる。小さいものが伝えるメッセージは、狭い領域に閉じ込められているので、ただちに把握し理解することができる。建築的空間(家、神殿、都市)は、山や川といった自然の地形にはない明晰さをもつ小宇宙である。建築は、言語で表現できる経験だけでなく、深く感じられる経験を、そして集合的な経験だけでなく、個人的な経験を有形の世界に表現することによって、認識というものを高めようとする人間の努力を持続させているのである。
  ーーイーフー・トゥアン『空間の経験』

今川命のタペストリー。そこまでGガン信者なわけではない。

一個150円、十個で千円という爆安価格。餡の種類も選べます。

コメント