ショーシャンクの空に、あるいは錯乱の五七五(序)

ーー機器もまた、ひとつ以上の檻ーー

 市内のブックオフがブックオフプラスになったというので、入口をくぐった瞬間気がついた。

「やっべー。今ポケットに〝ブックオフで買った〟山下清『日本ぶらりぶらり』入れてるじゃん」

「そのポケットの中身は何なのだ?」とブックオフ警察24時(仮称)に検問されたら、どんな申し開きも言い訳とされてしまうだろう。
『ストレンジ・デイズ』がずらりと並ぶ棚を急ぎ足で通過しながら、僕が信じていたのは、皮肉にも、笑ってはいけないブックオフ警察24時(仮称)そのものだった。

 この店内に入ったときから、(すべての人がそうであるように)僕はカメラで監視されている。その映像が、僕が万引きをしていないという証立てになってくれるはずだった。
 監視されることを自ら望んだわけで、まさに志願囚人。

 別に超管理社会がどうたら、いまさら言うつもりもない。ベンサムの一望監視装置よりもっと巧妙な仕掛けなど、とうの昔に取り沙汰されているモノだ。
 ただ、あらためて思ったのは、僕がやっているジャンルのことだ。川柳である。

 五七五は、とりわけて川柳は檻である。

 と言うようなことを、若いころから漠然と思っていた。
 十七文字の枠組み、ということ以上に、「川柳」というだけで掛かるバイアスが、どんなパノプティコンよりぴったり、作者及び読者及び作者を包んでいる。
 僕がブックオフで監視を願ったように、管理技術の巧みさ(・・・川柳は自由ですよ・・・川柳は思いを吐くものですよ・・・川柳は無限の宇宙が広がっていますよ・・・etc)は、やわらかい、これ以上ないくらい心地よい檻である。
 その心地よさ、川柳を書くときの快感がなければ、一日に百句作るような真似はしない。
 僕はおもてむき(牢屋のおもては鉄格子)、「川柳という檻に刃向かうため、あえて五七五を守りきる、五七五のなかでどんな反乱ができるか追求する」というテーマを掲げてはいるが、さてこのところ自分の句はどうか。

  覆面医帰路のとちゅうで見失う  大祐
  地下牢を灯すカーネル・サンダース 同
  液化したピザ切るときのわれの位置 同

 どうも檻の中で安住している。というより、檻の中で何かをしようとしている。
 
 もうずっと個人的な話になるが、病棟でよく拘束されていた。書くことも読むことも、何もすることができない。できるのは呼吸と食事と排泄のみ。そういえば最近の保護室にはカメラが付いていると思って、看護師たち(監視者)に「狂った」と思われないように、わざわざ「これから筋トレしますんで」と断ってから腕立て伏せをしていたのは、つい半年くらい前である。
 その時も僕は、「何かをしよう」としていた。
 この前の入院にあたって、「何にもしないことがいいかもしれませんね。何にもしないで、何にも考えないで」という言葉を贈ってくれた人がいた。
 彼には、心底より感謝している。
 ただ、善し悪しではなく、僕には「何にもしない」ことができなかったのだ。
 そして、「筋トレします」という自己申告は、監視により一層の強度を与える以外の何事でもなかったと、今にして思う。
 それは権力装置に叛逆するとか、そういったロマンに関係なく「自分を大切にする」ことに関わってくるのだと思う。
 人のためではなく、自分のために表現活動をするならば、自分を大切にできないで何の表現か。
  
 川柳が檻だとして、檻の中で何もしないこと。
 十七文字の中で、「何もしない」句。
 
 それが自分の目ざす川柳なのかどうかは、全くわからない。目ざしたいのかどうかさえあやうい(あやういという韜晦)。
 ただ、いまの僕はブックオフでポケットに文庫本を入れたまま、猫背で歩いているに過ぎない。
 いったい、僕はブックオフを出たのだろうか。その問いはしばらく続く。

 というとことろで、この話題、次回に続く! かもしれない。とりあえず明日から三日間大阪へ行って来ますので、続くかどうかノープラン!
 
 あ、よく見たら山下清『日本ぶらりぶらり』、別の古書店で買ったやつでした。

コメント

  1. 強は深いですね。
    そして、オチがス・テ・キ!

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    1. 明日大阪行きで浮き足だっているので、おちつけ、と。あああ、またつまらぬ事を言ってしまいました。

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