(以下はフォルダ内の文章に補足した)
a.〈二〇年前『空手バカ一代』を読んでいたら、「放浪の民空手は放浪の民だったのか」という台詞に「?」となって、ああ、そこまでジプシーって使っちゃいけないんだ、としみじみとした。
以来、鬼平犯科帳の新作が作られるたび、よかった、まだジプシーキングス生き延びた、と不安と安堵が入り混じる。〉
ここまではいい。
b.〈ジプシーと言えば、『ファイヤープロレスリング』で「鉄拳ジプシー」というボクサー上がりのレスラーをエディットしたことがあるが、どう見ても鶴見五郎でしかなかった〉
c.〈鶴見と言えば、鶴見済氏が無名の頃、リング屋として全日本プロレスの地方巡業に帯同する、という体験ルポを別冊宝島に書いていたことがある。
プロレスになんっっっの興味の無かった鶴見氏だが、名字だけで永源あたりから「ゴロー」と呼ばれつづけたり、三沢タイガーの素顔見たり、あんのじょう元子さんからおこられたりとかして、最終的にはけっこう楽しそうな筆調になっていた。結局プロレスには嵌らなかったらしいが、それは充実した人生な気がする。〉
いかがだろうか。
bの段階でそうとう思考のねじれが発生しているのに、さらにcをつなげようとする。あまつさえ、そのbすらすっ飛ばして、いきなりa→cと語り出すから、おまえの話はよくわからないと言われるのだろう。というか、「おまえの句はよくわからない」と嘆かれるのは、こういう句のつくりかたをしているからである。
自覚はある。たぶん。寝ます。
ハムサラダ生産業者月へゆく 大祐
(写真と文章はねじれてつながっています)
ノマドとかノマド・ワーカーは許される不思議
返信削除コメントありがとうございます。少し前に「さあ、気ちがいになりなさい」がハヤカワから出たけど、あれはオッケーだったのですね、こういうの「ノリ」で決まるような気がします。そのノリがちょっとこわい。
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