柔らかい月

地下に道場がある。アングラ格闘技。

 コンバーチ! という訳でブラジリアン柔術の練習に行って、風呂入ったらこんな時間に。
 しばらくブログほったらかしにしてたので、今夜こそ大阪往還記の続きを! と思っていたけれど、いま柔術方面のテンションがスカイハイなので(落ちるじゃねえか、とマスカラス通の人は突っ込んで下さい)、柔術のことを書く。
 僕は弱い。
 どれくらい弱いかというと、中学二年生の男子に勝てないほど弱い。一昨年はじめたころには、彼もまだ小学生、大人と子どもの体格差と、人生経験のずるさの差があったから、何とか勝ち目がたまにあることもあったのだが、と書いて自分の卑小さが際立つが、最近彼は滅茶苦茶鍛えまくっていて、

「いやあ、70キロ超えましたよ、体重」

 無論筋肉であり、僕には勝ち目がどんどん無くなっていく。彼の身長は僕より少し低いくらい、身長だけでなく、これからあらゆることが伸びてゆく若者。ひきかえ僕は老いさらばえてゆくばかり。ううむ。

「川合さんは、年寄りにしてはよくがんぱっていますよ」

 とその少年に言われて、優しい子だと思ったが、おじいさんがんばりたくてももうがんばるだけの体がないのよ。よく考えたら僕は43歳になるまで、スポーツ、というものをやったことがないのだった。いろいろ忙しくて、あまり道場に行けていないのだが、そう考えると、少しは、がんばっている、のか?
 まあ流石に、もうすぐ三年目になるから、ちょっとは柔術の仕組みが、おぼろげに、おぼろげに、かすかに見えてきた。

 技を極めるということ、それ以前の、技のためのポジションを取るということ、これは短詩型に似ている。
 ある決められた型のなかに、いかに〈それ〉を落とし込んでゆくか。
 その過程を、いかに考えるか。
 関節技を極めるということは、五七五を決めることと、どこかで共通しているかもしれない。

 これは本当に素人考えで、柔術の偉い人、短詩型の偉い人それぞれに怒られたらどうしよう? と怯えつつ、だからブラジリアン柔術、なんとか続けているのかもしれない。かといって、僕が規格外に弱いことに変わりはないが。

 というわけで今日習ったこと!
 前四方固めからのチョーク、そこから展開される肩固め!
 下からの十字がかわされたらオモプラータに行くチャンス!
 背中はべったりとマットに着けず、できるだけ起こしておくように!
 
 ・・・・・・ちっとも上達しなくて、なんかすいません。頑張ります。というか僕のこころには空洞があって、そこが怖いから、関節技を極められたかったのかもしれない。関節技の痛みって、なんかいい痛みだよね。あと、筋肉痛とか。寝ます。大阪往還記、必ず書きますからね。

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