12月31日。
十割蕎麦を啜る。
紅白見るのが嫌なので「RIZIN」にチャンネルを合わせる。
女子パートの煽りV、ナレーションが三石琴乃さんだった。
ゲンドウに対応してミサトさん。
「まだエヴァに囚われてるのか」
と思うけれど、「それはわかってるんですよ。わかったうえでたのしませている/たのしんでいる」というのが、「新世紀エヴァンゲリオン」というコンテンツであって、何となくその泥風呂に浸かっているのが前世紀(!)からのわたしたちの住む世界だ。(「世界はなぜ存在しないのか」・・・・・・)
だけどさあ、もういいじゃん。
エヴァって懐かしアニメがあって、みんなそれで道を誤りました、みたいな、それだけのこと。
・・・・・・という「了解」が、たまらなく「厭」だ。
「わかってんでしょ? わかってんですよ」
という自己肯定が、自分をどれだけ痛めつけることになるか、僕は最近、とくに今年になって、よく知った。
自分がどんな作品をつくれるかわからないけれど、せめて自作の上では、その自己肯定を崩したい。
・・・・・・という「自己肯定」はどこまでもついて回る。
だから今年ももがいた、来年ももがいてゆくのだろうと思う。
余言ながら、「厭」という感情は決してネガティヴと思っていない。むしろある爽快をもって、2019年を終えようとしている。2019年とかどうでもよくて、今日が終わるだけなのだけれど。
ところで、セラムンは戦闘美少女としてUWFなのかとか、レッドレーサー元気かとか、ヒョードル対ジャクソンにいろんな意味でびびったとか、もろもろ妄想したけど、もう夜が更ける。たまには、神社にでも行ってみようかと思う。なぜだろうか。
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