〈誰か〉という自分

 2020年1月1日、夜。
 これから、夢に赴きます。
 初夢の初が何をもって初というのか、わからないままに(何しろ、うつし世はゆめらしいので)、初夢を「して」きます。
 睡眠薬を飲んだので、夢を見たと思うかどうかわかりません。
 ただ、昔、毎晩連続の夢を見ていたことがあります。
 毎晩をくりかえすたび、僕は北へのぼっていました。
 コンクリートの町から町へ、一直線に、断続的に歩き続けていました。
 その途中の定食屋で、玉子丼を前に、このままここで暮らそうか、と思いました。
 それでそこに定住したのかもしれず、だから夢を「する」ことが無くなったのかもしれません。
 定食屋のガチャガチャは、壊れていました。
 そのひび割れをうつし世に思い出しながら、僕はこの世で生きる。
 だから、人を恋う。
 もうすぐ零時。
 この世が夢かもしれない、などとは微塵も思っていません。その鈍感さを抱えたまま、1月1日は終わる。
 川柳は、書けました。
 シド・ミード氏を追悼しつつ、『トロン』の夢を生きることができるのでしょうか。
 
 おやすみなさい。
 

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