荒れた岸辺

ほやほやの廃墟。進行形で終わっている。


 みんな実は人類滅亡を望んでいるのではないか、という短編は、小松左京だったか。
「どうせなら自分の目で終わり、というものを見てみたい」という願望がカタストロフを予感させて〈終わる〉話だったと思う。
 僕は生まれた頃に『ノストラダムスの大予言』がブームになった、1999年直撃世代で、中学の頃は同級生と「俺たち26歳で終わりかあ」みたいな会話をしていたが、中二のすべてがそうであるように、どこまで現実感を持っていたのか判然としない。
 核戦争が勃発するとして、その後の荒野をどうやってサバイバルするのか(ちょうど『北斗の拳』やら『ナウシカ』やらが流行っている時代だった)、「丸太で筏をつくって海へ漕ぎ出すんだ」みたいなノリでだべっていたように思う。
 それなりに明るい時代であったのは実感としてあって、だから太宰の「アカルサハ、滅ビノシルシナノカ」を引き合いに出して悦に入るような、中学生だなーと思うしかない中学生であり、やはりどぎつい照明の明るい生き方をしていた。

 で、1999年、僕はなぜか大学生のままでいて、好きな子に振られたり、就職試験で前田日明語録を引いて面接官をドン引きさせたり、ジャイアント馬場さんが亡くなったりで、忙しくて人類滅亡どころじゃなかった。
 やった人はやったと思うが、2000年問題というのがあって、大晦日の浴槽に水を溜めながら、「あれ、1999年過ぎるじゃん」と少し、しみじみした。しばらくは、こうやって生きていくんだろうな、と思った。

 話は前後するが、小学生時代、作文が苦手だった。〈終わらない〉のである。修学旅行を書こうとして、いつまで経っても出発前夜のことに筆を費やしている。原稿用紙20枚過ぎているのに、東京(修学旅行先だった)にたどり着くどころか、まだ学校に駐まったバスに乗り込まないでいる。僕はいつ長野県に帰れるのだろう、と長野県の自宅で思い、締め切り前日、「こんな本を読んでるからだ」と父親から『吉里吉里人』ハードカバーを投げつけられたが、父よ、案外あなたはいいところを突いていたのかもしれない。
 終わらないのはいやだ、と思って、同時に終わるのはいやだ、と思った。

 2000年、人生にいろいろ挫折して、小説を書こうとしたけれど、終わらせることができなかった。完結させることのできた文芸が、川柳だったわけだが、それはそれだけのことだ。
 ただ思うのだ。終わることも終わらないことも、僕はどちらも望んでいる。それは矛盾ではない。終わる、という言葉のなかには終わらないものが含まれているし、逆もまた真だからだ。
 あと何本ビールを飲める? 下戸なので計算はたやすいかもしれない。

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