移民の歌

TAJIRIとウルティモ。こんな田舎まで


 徳光康之氏『最狂超プロレスファン烈伝』を何となく読み返す。
 メガネスーパー傘下のSWS田中社長(当時)ファン、眼鏡かけてなかったね。
 それはともかく、自分の中で空虚が驚くほど無い。
 馬場も鶴田も三沢もいない世界で、僕は生きていくというのに。
 そのことが、無感動の石塊として、心の中に転がっている。
 思えば『烈伝』の熱気にやられて、東京の大学に行ったようなものだ。
 本当に個人の感慨なんだけれど、あの時の自分はおのれの頭と心で、真に熱くなっていたのか? 誰か/何かに「熱」を借りていただけじゃないのか?
 自分を見捨てたくなる夜、『烈伝』を読んで、自分に入ってくる他人からの情報が、いかにみずからを左右するかわかった気がした。
 そのわかった、という感情自体が、何かの侵食なのかもしれないが。
 いずれにせよ、僕は馬場も鶴田も三沢もいない世界で生きる。
 それは自分で決めたことだから。
 いつか、僕も死ぬ。
 あたりまえのことを書いているが、そのとき僕はほんとうの僕を持っているのだろうか。
 「プロレスラー」に同一化したい(けれどできない)漫画を読み直して、しみじみとそんなことを思った。

 ということを書いていますが、『最狂超プロレスファン烈伝』、傑作中の傑作です。第四巻の脱線ぷりもふくめて。個人的に、衛星にニールキックかまそうとしたシーンが好きでした。

 しかし最近、プロレスを見ようという気がおきないのだった。

(今日何をいっているのかわからない方は検索よろしくお願いします)

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