虎よ! 虎よ!

夢を見た、と言えるこの瞬間の、夢


 何てことだ。6月14日がその日だと思い込んでいた。

 忘れることなんて出来ないはずなのに。2009年6月13日、自分がどれほどの忘我状態に陥ったか、忘我したことを強烈に忘れられないでいるというのに。

 彼は1962年生まれ、僕は1974年生まれ。寅年のひとまわり違い。

 だからと言って彼にのめり込んだわけではなく(どうでも良いが、パートナーは小橋の12歳下だ)、驚くほど僕は彼を知らず、混迷するほどに彼はいつもそばにいた。

 そんなはずはないのだが、高校時代の深夜TVには、いつも彼が戦っていた錯覚をしているし、その誤認を修正する(修正主義なんて!)つもりなど毫もない。
 ただ、彼が僕の…こう言ってよければ僕たちの…いや、やっぱり僕の、としておこう…僕の錯覚の上にあやうく存在していたことだけは確か(!)だ。
 プロレスラーが幻想だなんて、今の人には通じないニュアンスがあるかもしれない。
(幻想、という概念自体、幻想になってしまった…などと嘆ずるのはやめにしよう)
 それでも、彼は幻想の、あまりにもリアルであろうとした幻想の住人だった。(今、囚人、と書きかけた)。

 「タイツの紐を直すのは心理戦」「相手が飛んでくるとさ、動けないでしょ?」「リングに上げるかは、ヒクソンのドロップキックを見てから決める」

 すべて幻想だ。リアルな意味において幻想だ。(余談だが、ヒクソンはドロップキックが上手い気がする)
 そのあげくのマゾ/サド的なリングの上は、言葉通りリングの上から奈落下への落下は、あまりに痛々しすぎた。
「痛み」という感覚が、プロレスラーをリアルたらしめる、そして実存たらしめる唯一の救済だとしたら、なああんた、それ、苦痛すぎるじゃないか。
(「だから、神様は嫌いだよ」とは坂口安吾の言葉だったか…「他人の言葉で語るな」という他人の言葉…)

 もうこれ以上、いいじゃないか。思考停止と言うならば誰かに言ってほしい。僕はあの日(6月13日!)以来、彼に対しての思考をすべて停止してきた。

 そして今年、僕は彼と同じ、46歳になっていた。

 自分が何にも作れていないなんて僅かも思っていない。自分と彼を比較したりなんてしようともしない。それでも、彼のいない世界は辛い。ジャイアント馬場もジャンボ鶴田も三沢光晴もいない世界を生きていくのは、ひたすらに辛い。
 眠る。人間とのコンタクトが忌避される日々の中で、明日は誰かとスパーリングができますように。すべての人が自分の生の完結を選べますように。祈りにならない祈りのひとつでも叶いますように。というのは嘘だ。誰かに祈りを叶えてなんかほしくない。そのために、ただひとつの祈りの言葉。

 おやすみなさい。

 

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