避妊具を買ったことのない自分へ
八月三日。
学歴に、「諏訪清陵高校卒業」と書くか迷う。
「校歌が長い」ことを自我同一性にしている学校。
校歌が長いのは、第一、第二合わせて二十番あるからだが、「伴奏がない」んである。
太鼓を持ち出して、ぼーん、ぼーんとスローテンポで鳴らすだけ。
話によると、年々遅くなっていたらしい。今は知らないが。
「ああばーくろうの、ついとーりて」みたいなひどく見せかけだけのハッタリ詩が延々と続く。ひどい歌詞だと思っていたが、詩型に携わるようになって、このくだらなさがしみじみと解る。
で、演奏に十五分間かかる。その間、体の弱い子から次々と倒れていって、保健室に運ばれる。おお、八甲田山だ。そういや原作者の新田次郎もOBだった。
はっ、まさか在学中の経験が執筆時に蘇ったのでは…とは完全な妄想。
いずれにせよ、しょうもない学校だった。そして私はしょうもない学生だった。
ひどく恨んだこともあった。
今も愛校精神はないが、少しだけ何かが解きほぐれている。
少なくとも、現在在学中の生徒さんたちに含むところはない。
いろいろ大変だろうけれど、頑張ってるね、と思うし、そんなに頑張らなくても世の中は生きていけるけど、頑張るのはうつくしいと思う。
何が言いたいかと言うと、私は履歴書を前に四苦八苦している。
特技欄:「長い校歌を歌う自信があります」
でももう歌詞なんて忘れた。三十年前のこと。中庭についていた愛称まで忘れてしまった。時は流れると言うよりこぼれ落ちてゆく。
拾い集めることも、いつかあるだろうか。
回想すみずから凍れない麦茶 大祐
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