記憶が構成する、ただの季節 |
八月十七日
一昨日の話で申し訳ないが、豚肉うまかった!
『赤い河』を観て、「牛牛牛! 牛肉がいっぱいっぱい歩いてる! 牛を食いたい!」と痛切に希っていたこの頃だが、予算という問題はあるし、牛は何だが恐れ多い気がするし、いま壁紙「原子心母」だし(これはあんまり関係ない)、人間、豚食ってなんぼだよね!
で、ホットプレートの豚肉噛みしめながら、「筋肉になあれ、筋肉になあれ」と魔女っ子の如く唱えてましたよ! もちろん、その事前に筋トレもハードなのを5セットくらいして準備万端でした。祈ってましたよ、「筋肉…筋肉をください…」。
何でそんなに筋肉に憧れるかと言うと、肥満児だったから!
子供のころ、うすい君とかにいじめるられるわけですよ。
「痛くないよな? 痛いはずないよな」とか童貞みたいなこと言って(小学生です)腹パンしてきたり。痛えよ! 普通に! 神経通ってるわ! あの世代の男子、サモ・ハン・キン・ポー見過ぎだわ!
口撃もあった。
「豚、豚あー」って。
それをすぎたさんとかがチクるわけです。
「せんせー。うすい君が川合君を、白豚、白豚っていじめてましたー」
白は言われてない! 白もっと惨めになるからやめて! あなたの優しさが悪意にブーストされて、烈しい痛みが心を吹き抜けるわ!
と言うわけで「豚」および「ぶた」「とん」という言葉が大嫌いになってしまった。
部屋を片付けられない(整理整頓だから)。
鴻上尚史が読めない(第三舞台だから)。
徴兵制反対(部隊に配属されたくないから)。
それくらい「ぶた」という言葉を忌避して生きてきたわけだが、世の中には「のぶたか」という名前の人がいて、自分、その名前だったら確実に出家して法名もらってるわ、とか思っていた次第。
だけど息子に「のぶたか」と付ける親の深層心理とは、どのようなものなのだろうか? もはや無意識レベルでの錯誤行為、とかいう範疇ではない気がするのだが。
まあいい。すべてののぶたか君に幸あれ。
僕も大人になって、豚肉を筋肉に変えるべく頑張ってるよ。もっと頑張ることはたくさん在るはずなのだが。句集「リバー・ワールド」作りとか(さりげない宣伝)。それが現実逃避してるところが悲しい。
しかも、「言うほど筋肉がついていない」事実がもっと悲しいのだった。目蓋を閉じれば栄光の舞台。すべては夏の夜に飛んでゆく夢。頓挫しないよう頑張ります。すいません寝ます。
あばら屋に豚を設計せぬ博士 大祐
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