テレヴィジョン・シティ

現実が一心に現実化する。虚構は?



八月二十日

 句集作りと別に関係なく、本当にテレビ見てない。相撲終わってから一度もスイッチつけたことがないんじゃないか。

 四千頭身、なのか八千頭身なのか、それとも全然別の名前なのかおぼろげなのだが「何か」がいることは知っている。知っているというつもりのフィクション。虚構と現実、という懐かしいフレーズが頭を時々かけ巡ってわけがわからなくなるけど、まあ、「スイッチを消したら(頁を閉じたら、劇場を出たら、etc……)、二度とスイッチを押せない」のが現実なんじゃないかと、ざっくり思ってる。

 それどころか、自分で「スイッチを押す」ということの統治もままならないわけで、「現実が虚構化した」と言われて久しいけど、自分で「根元的なスイッチを押せない」ところが、すぐれて現実的だと思うわけです、昨今。

 どうでも良かった。その頭身云々だとか、「『私たちはどうかしている』ってなんか勿体ないよね」とか(あと、「プレバトは……」とか)訳知り顔で語れるのは、新聞のテレビ欄を読んでいるから!

 見ないのに読んでる、全く意味がわからない。なんでこんなことしてるのか自分でもわからないが読んでる。だって楽しいんだもん。見るより。楽しくなければテレビじゃない、だったっけ?

 特に注目してるのが、CSの「テレ朝チャンネル」である。CSもBSも電波状況と資金繰りの関係ではなから映りゃしないのだが。

 家は朝日新聞なので、最終面の片隅に、そこにいるのだけで申し訳ないフリをして、でも図々しく存在感を発揮しているミニマムな四角形が、ほぼ毎日読める。

 字数が限られているので、番組タイトルの省略が凄いのだ。

「ドラ」が「ドラえもん」、「クレ」が「クレヨンしんちゃん」なのはもう前提だ。

 今日(2020/08/20)の朝五時から、いきなり「遺留」である。「遺留捜査」の上川隆也いいよね……などと見てないのに言う。しかしその直後に「あたし」(「あたしンち」)、「騎士竜」(騎士竜戦隊リュウソウジャー」)と繋ぐのは、一体どこに向かって撃っているのだろう? おじさんは心配になる。

「仮面」とか言うのもあって、それは間違いなく仮面ライダーなのはわかるが、どのライダーだ? と思っていたら、今日は飛ばしてくれた。

「仮面電王」

 わかりやすい。

 わかりやすくて何かとてつもなくイメージが違う。まさに最初から最後までクライマックス、なんだこのパチモン感。俺のバチさにお前が泣いた。すいませんどうでもいいことしか書かないのがこのブログのいいとこです。今決めました。

 で、その伝でいくと、過去に究極形態があった。


「猿」


 いや「プロゴルファー猿」なのはわかるよ! だけどもう少し何とかなるでしょ! 朝一番に目に飛び込んでくる、一文字、「猿」。芸術に踏み入ってるぞ。大衆娯楽から遊離しないことを祈る。

 などとテレビ欄は楽しいのであった。今日もテレビはそこにあるのに何も写してくれない。いや徳永やりたいわけじゃなくて、自分がスイッチ入れないだけなのだが、この状況が現実っぽくて好きなのだった。 


  凡なる喩 宇宙うまれるたび卵  大祐

 

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