必ず解ける問いを想定するとき、まるで、〈信じる〉ちから |
八月二十六日
無駄なことを書こうと思う。
本当に無駄なので、こころに余裕がある人は以下を読んでください。
ベランダの紫蘇が枯れはじめている。
ついた葉も、懸命に大きくなろうと努力しながら、小ぶりなものにしかなれないでいる。
それでもこの数ヶ月間、僕らの食卓に大いなる潤いをもたらしてくれた。
最初に千春さんが「紫蘇植えようよ、植えよ、植えよ、紫蘇」と言い出したときは——そして種とプランターを買ったときは——「何言ってんだ、このひと?」と内心思ったものだった。
「土も買う」と言うに至っては、「そんなの、公園のでいいじゃん」と思わず言い返してしまっていた。結局2キログラムの培養土を買った。
種を撒き、黒い土の表面を見ているうちに、「何かをしなければならない」と僕も思ったのだろう。『となりのトトロ』のあの「芽を出せ踊り」を団地三階でしていた。千春さんが参加していたかどうか定かでない。
ただ、よく笑った日だった。
夏が来る前だった。
もう非常事態宣言は出ていたかもしれない。
そして晴れて、雨が降って、晴れて、「あ、芽が出て来たよ」と彼女が楽しげに言って、晴れて、雨が降って、数えきれない喧嘩をして、晴れて、僕が物をどうにか書けるようになった頃、紫蘇も葉を豊かに揺らしていた。
そうめんに。うどんに。パスタに。卵焼きに。味噌汁に。
何より、僕らの生活に。
つんと香る、紫蘇は永遠で有るかのように有り続けた。
その紫蘇が朽ちはじめている。
夏が終わる。
ところでフィリップ・マーロウと言えば『三つ数えろ』のハンフリー・ボガートを想起する人も多いと思われるが、チャンドラーの原作小説『大いなる眠り』では、
「背、高いのね」
とヒロインのひとりに言われるところを、映画ではボガートの身体的特徴上、
「小柄なのね」
と言われてしまうのは有名な話だ。ググればいくらでも出てくるだろう。ググってないけど。
素晴らしいのはその返しだ。マーロウ、というかボガートは言う。
「努力はしてる」
努力! なんと素晴らしい言葉だろうか! その根性と気合によって、ボガート、「小柄なマーロウ」で二時間押し切ったよ!
やっぱり大切なのは気合だ。
そんなフィリップ・マーロウとうちの紫蘇を同一視して、思わず昼にツイートしてしまった。
「さらば愛しき紫蘇よ」
で、夕方、それでは何か間違っているような気がした。考え抜いたあげく、結論がこれだ。
「サラダ芋付き紫蘇よ」
無駄に消尽した時間は二度と帰ることがない。失われた時を求めて、おちこんだりもするけれど、おおむね僕は元気です。
転生す三時のあなたと逢う日へ 大祐
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