限りなく〈関係〉へ向けて—— |
八月四日
左右社さんから、『金曜日の川柳』が増刷とのお手紙いただく。
素直に嬉しい。一家に十七冊くらいはあってもいいと思うので、買える人は買っておきましょう。僕は喜びのあまり句が書けなくなってしまいそうです。駄目じゃん。
お手紙に「夏井いつき先生がYOU TUBEで取り上げてくれました」とあったので視聴。
えええええ、と驚くほど的確に川柳を認めてくれていて、いや別に驚くことではないのかもしれない。
いろいろなジャンルの人と主にネットで出会って、俳人の多くの方が「川柳」をリスペクトしてくださっている。
(もちろん、例外はあります)
何だろう。俳句の人たちから見ると、川柳にはある独特の魅力があるのかもしれない。
川柳をやっている人間の方が、実はその魅力、というか大事なものに気付いていない、と感じることがある。
と言うか、僕だ。
僕はたぶん、川柳の大切さに気付いていない(あるいはそのフリ……)。
川柳って何なんだろう?
問うために作る、と言えば聞こえはいいが、問いから逃げようと作りまくっている気もする。
でも、自分は川柳を逃げ場所にしたことはない。少なくとも意識的には。
逃げ場所にするには、あまりにもあけっぴろげの荒野なのだった。
しょうがないから牛でも飼い始める。西部劇、『赤い河』とか面白いよね。
と言うところで、川柳書きのひとり言らしいひとり言でした。(この、でした、と言う言葉使いに関わる自意識の在り方が、最近自分で、少し嫌になってきてはいる)
瓜売りが翼で飛んでいるだけの 大祐
追伸。ようつべのコメント欄はいろいろつらいです。「この動画、本当に見てたんですか?」と聞いてみたい。でも面倒くさいから聞かない。かくて地球は回る。止まるかもしれないけど。
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