時間都市

何と何を交換した? あるいは何をしなかったのか?




九月十三日

 引越してから丸一年。

 思えば、去年は九月十三日の金曜日で、ついでに仏滅だった。

 引越し料金すこし安くなるかなー、と思ったら、全くそんなことはなかった。対応は丁寧だったが、お値段は結構しました。引っ越しのサカイさん。僕は昔の「♪べんきょうしまっせ〜引っ越しのサカイ〜」という能天気なCMが好きでした。

 今どんなCMか知らないけれど、「届けます、笑顔を」みたいなノリのやつだったら、そんなサカイ、サカイじゃない! 昔のお前はもっと純真でまっすぐだった! と熱血してしまうかもしれない。 

 それはまあいい。よく考えてみたら、引っ越し料金がそれなりのお値段したって、「本がやや多めだったから」が理由だったのだろうか。

 事前に渡された段ボール20箱以上、使い切って、まだ全然足りなかったからなあ。詰めるも地獄、並べるも地獄だった。それでも僕などは蔵書が少ない方に分類されるから、書籍収集の外道に堕ちた人々は、引っ越しとかどうしてるんだろう?

 世間にはその「どう」について書いた本が必ずあるわけで、それが更なる混沌を引き起こしているのであった。めでたしめでたし。別にめでたくはない。

 ところで、「あー、この機会に処分しよう」と思って山積みになってる百合姫Sとかつぼみとか、手つかずのまま一年経ってしまったのだが、時間は早い、ていうか時間は存在しないとか言いながら存在しすぎる。

 無に時間が無いならば、時間に無は無いのだろうか。そもそも「無」は本当に「無い」のだろうか。

 時間を起点に考えだすと、頭がおかしくなりそうになる。せめて時間論を勉強しようと思うと頭蓋に鳴り響くのだ。

「♪べんきょうしまっせ〜引っ越しのサカイ〜」

 今夜は一周年ということで。


  数学がそういうバネをしていない  大祐

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