原子心母

自分よりハートマークの描き方が下手な人へ

 

九月十九日

 9・19、句一句の日。

 いやそんな日はないし、適当に思いついて書いてるだけなのだが、どんな日にも必ず「何か」がついてまわる。(よく考えたら彼岸の入りだった)。

「クイックの日」と表現したのは、亀山朧さんだったか。違っていたらごめんなさい。

 そんなわけで句一句の日である(ねえよ)。

 最近、いろんなことが押し寄せてきて、川柳を書く力が、がく、と落ちてしまった。「いろんなこと」と言うのは人生についてまわる「何か」である。おお上手いことを言った。言ってませんね、はい。

 で、せめて一句でも作ろうかと思っていた朝、畳に「大山21号」の新聞記事を広げて、それに被さるように読んでいたら、胸部に凄まじい痛みが走った。

 胸の中心から、背中にかけて、体から「何か」が弾け飛ぶような激痛である。

 こんな痛みは経験したことがない。

「千春さん、胸が痛い」

「恋?」

 と言ったかどうかは覚えていない。たぶんさすがに言ってないだろうと思う。とにかく水を静かに飲んでゆっくりと静まるのを待った。母方の祖父が心筋梗塞を起こした時のことを思い出したかもしれない。なお、父も狭心症。家系的に循環器系が弱いのだった。負のサラブレッドだ。ははははは。などと笑っている場合ではなく、痛みがどこかに続くので、近くの医院まで千春さんに送ってもらった。

 血圧は上106、下64くらい。いつもの感じ。

 レントゲン撮って、心電図。

 お医者さんはそれを見て、

「綺麗な心電図してますねえ」

 魯山人の弟子かと思う発言をしてくれた。

「まあ、異常はないですねえ」

「ないですか」

「煙草吸いませんしねえ」

「吸いませんです」

「ストレスですかねえ」

「ストレスですか」

 そんなわけで帰ってしばらく寝てました。家事とか千春さんにやってもらいました。ごめんだから言うわけじゃないけど、近頃千春さん、妙に綺麗ですよ。主観です。お世辞でもないです。依存です。

 そんな千春さんが、ぽつり、と言った。

「精神的なものじゃないかなあ」

「そう思う」

 と答えて、それでも胸は苦しくて、だからこそああこれはやっぱり精神的なものなんだなあと思う。

 夕食の納豆パスタは二人で作った。納豆混ぜるのも立派な料理。

 あと、ぼろぼろだけど何句か書く。それも句のひとつ。

 そんなわけで9・19、「句意、苦」の日だった。意味が全くわからない。

 どうでもいいけど後から実の母も狭心症だったと知りました。そういえばそんなことも言ってたような……人間として存在する資格がない自分でした。(そういう自虐はあんまりやらないようにしたい)。


  洪水がはじまる夜の相撲部屋  大祐


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