知性化戦争

愛さえも戦いでない戦場で、書く

 

九月二十八日

 もう薄暗くなっていたが、その猫ははっきりと見おろせた。薬缶を提げてベランダに出ると、団地の裏庭を、茶色い成年の猫が駆け抜けて行った。私は水をプランターに注いだ。庭の私物の滑り台で遊んでいる、ふたりの女の子が、「ねこだー」。「ねここわーい」。「おかあさーん、ねこがいるよー」と、近代史の天使のように希少な、脳と発声器官が綺麗につながっている発話をしていた。

 撫子の鉢で水が尽きたころ、「ねこが、ヘビにかまれて、また来るかもしれないよー」と聞こえた。子供たちに何か言うべき事はあるような気がして、しかし彼女らは自室に戻ったようだった。ただ「かたつむりだあー」という声だけがしていた。私は薬缶を一度も手放す事なく、台所に戻って、窓を閉めた。今日はもう猫を見ることはないだろう。


 と、言うわけで川合大祐です。千春さんがリトリート=転地療養=湯けむり紀行に行ってしまわれたのでひとりです。

 いろいろと締め切りも片付きそうで、仕事も十月から。んなわけでモチベーションの向けどころがないので、「筋力アップとブログ書く」ことを目標に生きてゆきたいと思います。いいのかそれで。いいわけがない。でも生きてゆくのにささやかな悪徳はあってもいいじゃないか、なあそうだろう、シスター、ブラザー? 何だよこのノリ。

 ともかくも筋トレ。と言っても腕立て・腹筋・スクワットを3セットくらいしかできません。よく考えたら昨日柔術の練習だった。疲れているはずだ。

 そんな時こそタンパク質! ニシザワ食彩館で安い挽肉とビーンズ買ってきて、チリコンカンどっさり調理! 別に料理ブログではないのでレシピ載せません。はちみつを入れると美味しいとだけ言っておこう(アントニオ猪木・談。嘘)。だから何そのノリ。て言うかここ何のブログだよ。迷わず行けよ行けばわかるさ。自分、アンチ猪木なのに。全日が好きだったのに。だからこそ今の新日が嫉妬じゃなくてなんか悲しいのに。何の話だったか。

 そうだ、タンパク質を摂ろう! 納豆もつけよう! ますます猪木じみて来るのがやれやれだぜ。でも我が神・鶴田もいっとき「納豆のネバネバパワーで頑張るよ」みたいなこと言ってて、鶴田にとって猪木とはどう言う存在だったのか、クーデター未遂も合わせて、今はもう知りようもないが知りたい。何の話だったか。

 本当は特に話したいことなんてないんだと思う。有史以来、話したいことだけを話して逝ったやつなんて、ジーザスとか芦原将軍とか、限られたエリートだけだとは思わないかね、シスター? ブラザー? だからそのノリやめた方がいいと自分の理性が立ちはだかる。それはともかく、話したいことがないからこそ、人は人のノイズをこんなにも愛しく思うのではないか? それらしいことを言ってみたが、これもノイズである。

 さっきまで千春さんとFaceTimeで話していたのだが、流れ込んでくる市の広報。

「宮田村で拳銃事件がありました。注意してください」

 あー、これサスペンスだと宿が乗っ取られる前フリだわ、と思ったが、それは言わなかった。千春さん怖がるからね。普段覗かない掲示板とかも見てみたけど、まあ役に立つ情報はない! 人は話したくないけど、話さなきゃと言う強迫観念に襲われてることがわかるノイズでございました。ノイズを否定しているわけではありません。人間、だいたいみんな一緒です。時々鶴田とか馬場とか猪木とか、突拍子もない存在者が存在するだけでございます。

 そんなこんなでブログも書けたようで、今日は早く寝よう。明日もいいことがありますように。千春さんが帰ってくるのは金曜日。僕のバイトも始まる。


 コカ・コーラの壜に挿しっぱなしだったひまわりを、捨てた。花弁をなるべく見ないようにして、ゴミ箱の蓋を開けてから、閉めた。なぜそうしたのか、あるいはなぜ今までしなかったのかわからない。理由はあるだろう。どんなことにも理由はある。そして理由がなくても、黄色い花は萎れるように出来ているのだった。


  午睡するセンター街の水母店  大祐

 

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