幻が幻だとしたら、誰に責を求めればいい? |
九月三日
単なる日記。
日記を一ヶ月以上連続してつけたことがない。
理由として、「自分が言葉に支配されてゆく」というのがある。
日記に書いた言葉に、自分がどんどん規定されてしまってゆくのだ(今、この瞬間もそうなりつつある)。それで自分がいたたまれなくなって、日記帳から遠ざかる。
人間は言葉による動物であるとか、そんな理屈はもうどうでもいいのだよ。僕は僕の言葉が、時として苦しくなるよ、などという言葉に支配されてゆく〈自分〉。今日あったことより、明日あるだろうことを書いてしまう〈日記〉。
だから、あえて今日あったことは書かない。
血圧が上100ぴったり、下56で、医師から「立ちくらみとかしない?」と訊かれて、「さっきしました」、「したかあ」という会話をしたこと。
ドラえもんの誕生日だったこと。
川柳を一句も書かなかったこと。
この三つくらいは、書いておいてもいいだろうと思う。
でもそれ以外は書かない。今日あったことは誰にも見せない。見せないというほどのものもない。
書かない。
書かない。
書かない。ということを書きつづける。
そんな感じで note に詩、書いたりもした。https://note.com/16monkawai
タイガースは勝ったかもしれない、と記すが、実際はもう結果を知ってしまっている。ノリというやつは恐ろしい。このように自分は言葉に支配されてしまうのだった。
だから川柳を書かなかった、という理屈はまったく理屈になっていない。それでいいのだ、と思いたい。単なる日記。
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