〈永遠の子供〉が瞬間を知ることなく |
九月四日
「いやあ ぼくは 神さまなんて信じないねえ」(スネ夫)
「えんりょするかよ ポップコーンていどで」(ジャイアン)
と、時々意味わかんないほど格好いい台詞を吐くから困る二人。
彼らの洗練された台詞回しに、藤子先生の天才性を見る(あと、「いっけん落書きに見えるけど実は芸術的に優れた前衛絵画っぽい絵」を描けてしまうところにもだが、今日はその話はしないでおく)のだから、短詩系とドラえもん世界は相性がいいのかもしれない。それ理屈になってるかな。
石田柊馬氏の、穂村弘氏の、升野浩一氏の句歌を思い出してみよう。(引用はしませんのでどうか調べてみてください。検索で見つかるなら、安すぎるほど価値の高い作品群です)。
そういう僕もドラえもんネタを幾つか作っている。
二億年後の夕焼けに立つのび太 大祐
これ実は、ドラえもん→タイムマシン→ウェルズの地球終末ビジョン+諸星大二郎『暗黒神話』のイメージを重ねただけなのである。
ロボットに神は死んだか問うのび太 同
これなんかはもっと非道だ。あるエピソードで、「神は死んだか!! 正義はほろびたのか!?」と(いつものごとくジャイスネに迫害された)のび太がドラえもんに詰め寄るシーンを、そのまま五七五に落とし込んだだけである。いいのかこんなこと書いて。
反戦歌つづくジャイアンリサイタル 同
で、ジャイアンは書きやすい。なんかジャイアンは句にしやすいのである。ところで上記の句は句集『スロー・リバー』で読めます。残部少ないのでハリーアップ。という宣伝をしておいて、句集未収録の句にもしょっちゅうジャイアン出てくる。
ジャイアンを小さく写す宇宙船 同
とかである。
ジャイアンがなんでこんなに書きやすいかというと、4音字で、助詞をつけやすいのがまず利点としてある。というか、「を」とか「は」「に」「へ」を付けると動きが出るキャラクターなのだ。個人の感想だけど。
これがのび太になると、「立つのび太」「問うのび太」のかたちになりやすい。個人の感想です。それが〈のび太〉の主人公たる所以かもしれない。
ジャイアンとのび太、敵役と主役の立ち位置の違いが、表現の方法の違いに表れていて、この二人はそれぞれぴったり来る575のはまり方をするのだった。
(ドラえもんは5音なので、はまり方の出来に波が激しい)
それに比べると、スネ夫は扱いづらい。
三音なので、「スネ夫から」とか「立つスネ夫」とか表現の方法はあるはずなんだけど、どうもそれ、スネ夫のキャラに合致してくれないのだ。
たぶんスネ夫って、「スネ夫を」とか「スネ夫へ」とかがはまるキャラなのだと思う。で、そういう内容の句が、僕は作りづらい。しつこいけど個人の感想です。
スネ夫、って語感も尖ってるし、神も口も尖ってるのが、句のなかに納めるのが難しい理由なのかもしれない。ドラ・のび・ジャイはなんとなく丸くて質感がもっちりしてる。それに対して骨川だしね。
あと、すごい偏見なんだけど、スネ夫って、川柳に詠まれる側よりは詠む側のイメージあるじゃないですか。世間に流布してる川柳書きのイメージって、スネ夫が一番近いんじゃないかと。いやすいません何の根拠もないですただの個人の感想です石を投げないでください。でも、はまりません? 川柳作家スネ夫。骨川スネ夫って名前も柳号っぽいぞ。川柳やってる奴はみんなスネ夫。うわー、すげー偏見。
書いてて思いがけない地点に着いてしまったので、何だか各方面に謝らなきゃいけない気分。あと、しずちゃんは凄い端折って言うと、「なんか不気味で書けない」。いや端折りすぎでしょ。
本当なら昨日のドラえもん誕生日に合わせて書くつもりだった。まあいいや。『スロー・リバー』のさりげない宣伝になったし。(さりげなくはない)。第二句集もよろしく……というのはあまりにがっついてる感じだけど、プロデュースだいじ。ジャイアン非道な目に合うのでよろしく! という宣伝日記。
「いやあ ぼくは 神さまなんて信じないねえ」
おまけ
ドラえもん右半身が青色の 大祐
はキカイダー。(コミック版の青ボディの処理の仕方が同じだった)。
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