猫のゆりかご

眠ることから眠るものへ

 

九月七日

 朝、高かったマスクをなくした。

 足の傷が痛い。

 何のために川柳を作ろうしてるかわからないし、作れない。

 ええい、気分が鬱してたまらぬわ。

 というような台詞が司馬遼太郎『風神の門』にあった気がするが、僕の鬱し具合は「ふ〜じん、ふ〜じん」と歌ってしまうくらいの気塞がりである。それは救心だ。

 気分が変わるかと「らしくもないぜ」な猫画像を持ってきたが、僕は猫について何も知らない。

 千春さんは、猫をひと目見ると「あ、男の子だね」とか確実にわかるのだが、「なんでわかるの!?」と驚いても、「えー、それはわかるよー」と言ってコツを教えてくれない。

 いや教えてくれない、ではなく僕がちゃんと学ぶ姿勢を見せないからだけなんだが。

 人生何事も修行。

 どうせなら修行が好きになれるといいね。修行が終わるころ、「ああ、あの時のヒンズースクワット1万回はたのしかったねえ」と言い合えるといいね。したことないしするつもりもないけど。鈴木みのるだったかによると、三千回超えたあたりで、「ああ、もうこんなことやってないで関節取る練習がしたいな、したいな」という気持ちが湧いてきて、九千回の頃になると「練習がしたい! 練習がしたい! 練習がしたい!」でいっぱいになるそうです。プロレスラーの発想というのは理解がし難い。

 それはともかくとして、千春さん、この三日ばかり「耳に水が入って、取れない!」と困っていた。困るのはいいが自分の頭をごんごんごん、って叩くのはやめたほうがいいと思います。自傷癖のある僕が言えるこっちゃあないが、見ていてぎょっとする。僕も自らを省みよう。人生修行。スロー修行でね。修行かそれ。

 で、耳鼻科行きました。

 安岡章太郎に「耳に蛾が飛び込んでひたすら痛いけど耳鼻科行ったらあっさり取れた」ってことをひたすら書いた短編があったけど、タイトルすら忘れてしまった。ただ、道中、何となく思い出した。

 待合室で待つこと(これ、馬から落馬、なのかな)5分、診察室に入って1分、

「ありがとうございました! ありがとうございました!」

 千春さんの叫びが響く。

「ゴミが溜まってたんだって! カメラで見えた! ぎゅーん、って吸い取ってもらえた!」

 と晴れやかな表情で出てきた彼女へ、

「子供が生まれたかと思った」

「一分じゃ生まれないよー。あ、でもムツゴロウさんの兄弟、トイレで生まれちゃったんだって」

「運に恵まれた人生だったろうなあ」

 なんて小粋な会話だ。バーン・ガニアももらい泣き。意味はない。

 というわけで耳に違和感あったら専門家へ。

 これも何かの修行なのか。

 何とか川柳14句書く。句集編纂停滞中でも、少しずつ進む。というか進め。

 雨。少し冷えたので、サマーコートを着たら、ポケットからマスクが出てきた。

 修行とは得てしてそんなものである。ところで僕は猫について「逆さにするとノミが逃げだす」ということしか知らない。藤子先生知識。今日も早めに寝よう。

 足の傷は、薄皮が張ってきた(ような気がする)。


  立つふたり内陸地図を許しあう  大祐

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