……絶句。

物は物ではない 言葉は言葉ではない


十月十一日

 わたしの鼻は象の鼻。サバンナの象のうんこの匂いをなつかしむ。

 いや何となくわたしの耳は海の貝が流行ってるようなので時流に乗ってみました。そんな時流あるのか。

 それはともかく、団地、カメムシ多い!

 衣替えで大量に出た洗濯もの取り込んでいたら、次から次へとカメムシがこびりついてる。触らないようにシャツを払って、パンツを手に取ると、また二匹もぞもぞと貼り付いていてくれる。そおっと、そおっと、触らないように、でも確実に振り落とせるようにはたき捨てると、今度はアロハシャツに三匹。三匹が斬るである。そんな「である」ではない。

 何でここまでデリケートに好きしてのごとく繊細にカメムシを扱っているか、都会の人は知るまい(都会の人を逆差別)。

 カメムシはパクチーの匂いがするんである。パクチーがどういう匂いかというと「カメムシの匂い」と表すほかなく、所謂、広辞苑のジレンマである。すいません今勝手にジレンマの名前作りました。ふはははは小林くん意味という病はかのように織り成されるのだよ、虚しい笑い声が鳴り響く長野県。そういや同級生のコバヤシくん何してる。

 ともかく、カメムシというのは「匂う」生物なのである。ちょっと触れた指に強烈な香りが凝縮されるくらい。ティッシュごしでも触ったら石鹸で手洗いが鉄則。いやまあ、ほっとけばそのうち落ちるんだけどね、これがなんかこう、非常に「イヤな」匂いなわけです。

 検索されれば分かる通り、そんなグロい見かけはしてないし、事実うちでは「めっちゃん」と呼んでいる、カメムシのめっちゃんね、それはまあいいとして、この匂いさえなければ愛されたかもしれないのに……と夕闇に鳴きはじめた鈴虫を聴いて思う。愛される者と愛されざる者のあいだには、いったい何の溝が横たわっているのだろう。そもそも愛って何だ。(ためらわないことさ、って続けた人、手を挙げてください、誰も怒りません、てか僕は喜びます)。

 めっちゃん。めっちゃん。悪臭を放ってこの美しい世界から自分の弱さを隠すめっちゃん。君が辿ってきた進化の道筋をいや君自身のよるべなき魂の遍歴をこの清らかな世界の端において僕は肯定しよう。だからめっちゃん。聞いているのかめっちゃん。

 マスクに思いっきり「ここにいたよ」って印つけてくのやめてくれ!

 こーの、いくじなしがー!

 すんません、オチが思いつかなかったので大槻ケンヂさんに逃げました。そういえば今日はヒクソン髙田戦の日でしたね。当時「髙田負けろ」って本気で思ってた僕はプロレスファンのカメムシのめっちゃんでした。今は高田の気持ちもなんとなく受け入れられる。なんとなく。


  柿がある部屋が立方体なして  大祐

 

  

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