奇人宮の宴

屋根の下に青空がない 慄然とする


十月十四日

 自分がダメだなあ、と思う。それだけなら別に害はないのだが、人に(主に千春さんに)怒りをぶつけるとき、自分にぎざぎざとしたものが残る。

 正直言って、喉の奥まで、そのぎざぎざが一杯だ。上田馬之助はガラスのコップを食べたんだっけ? どうでもいいし、この際根本的に関係してないような気がする。

 と落ち込んでいるのも仕方ないので、明るい話。そんなもんあるんかいな、と思うけれど、人はぎざぎざを飲み込んで、それでも楽しい話をしているのだと思う。それが彼女ら彼らにとっていいことなのかわからない。でも僕は彼女ら彼らに勇気をもらっている。だからと言ってお返しではないけど。

 大学の時、潰れそうなローカル牛丼チェーンがあった。ここの売りは「合いがけカツカレー」。そのまんまで、牛丼とカレーの合いがけにカツが投入されている。それも結構な量。守られている皿がアルマイトで、いっそう風情を掻き立てるのだった。

「合いがけカレー」はよく食べたが、「カツ」を入れることがどうしてもできなかった。カロリーとかも考えたかもしれないが、そもそも「カツカレー」というものに畏怖に近い感情を持っている。自分なんかが食べていいものかどうか迷うのだ。やっぱり、カレーにカツを入れるのは、恐れ多いんじゃないか。カツを入れられるのは、もっと人かどの人間にならないといけないんじゃないか。今考えるとどうでもいいことだが、当時としては結構な悩みで、食券きの前で、しばし沈思黙考していた。不気味な青年だと思われたかもしれない。ちなみに店の親父さんの顔は、うすぼんやりと覚えている。もっとちなみに、その頃身長167センチで57.5キロだった。それでも自分をデブだと思っていた。

 二十年以上の話です。

 今はもうあるかどうかわからない。川崎市高津区にあったが、世情が落ち着けばまた行ってみてもいいかもしれない。今度は合いがけカツカレーを食べてしまうかもしれない。

 人生初の、と書きかけて記憶の錯誤に気がついた。一度食べたことがある。いつものように合いがけカレーを頼んだら、しっかりとカツが入っていたのだった。それも失恋した三日後の夜に。追加料金タダでいいと親父さんに言われたので、食いましたよ。結論:フードファイター(古い言葉だ)は選ばれし者の恍惚と不安ふたつあったのだなあ、と。吐くか下すかという胃腑を抱えて、田園都市線に乗りましたよ。でもその晩魚肉ソーセージをかじった記憶も(錯誤かもしれないが)ある。

 結論その2:サービスの過剰は受ける対象を悩ませる。

 結論その3:若い時は何でも何とか食える。(あの頃のハイブリッド・ボディというほどのものではないが、撮っておかなかったのだけは後悔している)。 

 結論その4:この話に結論はない。

 という結論が出たので今日の話は仕舞い。ところで、あの店の味はどうだったんだ? 少し明るくなったので、明るい自問をしてみる。人生は些細なことで形成される。ダメだと思っていた今日だって。また、明日から。


  てのひらに金平糖がある未来 大祐

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