遥かなる地球の歌

町外れ。自分を縛っておける場所と時

十月二十日

 ハロー。

 誰に送るともない手紙を書いている。誰に送るともないなら、誰にでも送るメッセージだし、第一これは手紙ではない。

 ただ僕は手紙を書きたかったのだ。

 この世界に(何と小さな領域だろう)、いるはずの「あなた」に向けて。その指向がどちらを向いているかわからない。僕はいつでも何もわかっていない。何を発信したらいいかも結局わからないままだ。

 卑小な自分と言ってしまうのは易しい。だけど本当は卑小だなんて思っていないから、あちこちに齟齬を来す。

 今日、ほぼ半日寝込んでいた。つらかった。直截的な表現だが、何がつらかったのは曖昧にせざるを得ない。ただ、うつらうつらした意識の中で、10時20分だと思っていたら、10時20分だった。それが何の自分を支えるものなのかわからない。(またわからないに逃げる)。曇り空だと思っていたら秋晴れだった。あの青さは忘れずにいようと思った。いつの間にか樹が紅葉していた。

 僕は嫉妬する。

 自分に注がれるはずの愛が(それ自体病的な固着だ)、他の人に行ってしまうのが、たまらなく怖い。辛いというより怖い。怖さのあまり、寝台から動けなかった。おかげで、今も変な寝方をしたあとの頭痛がひかない。自業自得だと思うが、その自己完結性が、ひどく、息苦しい。

 ぶっちゃけて言うと、妻が「あの人なんかいいね」と言ったことに焼きもちを焼いていただけだったのだ。自分がそれで卑小なんて思わない。それでもひどいすねかたをしてしまったことは卑小だと思う。

 そんな一日が終わって、スティーヴ・エリクソン『リープ・イヤー』を再読する。エリクソンは孤独「であり」、孤独「ではない」人だと感じた。理由は読めばお分かりになると思う。僕もきっと孤独ではないのだろう。友達が欲しい、と現在痛切に思う。直に会える友達。この谷は狭くてどんな人と触れ合えばいいのか途方に暮れているけれど。

 だから手紙を出したかった。

 誰にも届かない手紙。誰かに届く手紙。 それらはきっと同じものだ。せめて自分には届くといいと思う。それが救いになるか、例によって不明だが。

 僕に僕から手紙が届いたら、封は開けないで捨てるだろう。もしかして自分の書いていなかったことが書いてあったかもしれず、その可能性を永遠にしたかったのだ。

 そろそろ車の窓が凍り出す。暖機している間、僕はまた僕に手紙を書くかもしれない。郵便ポストに、投函することさえなく。

 もう十月二十日ではなく、伝えることなんてないのだろうが、とりあえず言っておく。

 ハロー。

 ハロー。

 僕の帰る家に、僕はいます。だからアドレスを変える真似はしないで。僕は僕に言っている。僕にちょっとばかりの勇気を。ほんとうはたくさんの人から貰っている。『リバー・ワールド』のゲラを眺めていたら、をのことを忘れそうになった。

『リバー・ワールド』。少しずつ仕上がってきている。これが僕の僕への手紙なのかもしれない。

 眠ろう。


  のどぼとけ商品をみな売って牛  大祐

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