冒険者コナン〜ブラジリアン柔術日記その1

人生工事中、の中の中

十一月十五日

 柔術の練習に行く。結論から早めに言ってしまうと、青帯いただく。

 ブラジリアン柔術は白からはじまって(普通武道はそうだ)、青→紫→茶→黒と段階が上がってゆく。

 白なら白帯、青なら青帯を巻くのである。さっきから当たり前のこと書いてるな。浮かれてると思ってください。

 なお、その白なら白、青なら青の中で段位があって、これは帯の端にテーピングして「白の二本」という感じで表す。このテープが四本で段内の最高になる。この前、やっと白の四本をもらえたので、「あと一年くらいしたら青帯に上がれるかもしれないな」などと思っていた。

 なので、練習終えたあと、先生が「川合さんにお話があります」と言ったのには、正直練習時間の変更かな、くらいに思っていた。

「青帯です」

「はあ……え? え!? ええ!??」

 先生が青帯を取りに控え室に行っているあいだ、よくわからない衝動で、口押さえてた。青帯って、あの青帯だよな、フェイントでなんか違う青帯とかこの世にはあるかもしれない、いやそれどんな青帯だ、水玉模様かな、と全くわけのわからない考えがぐるぐる巡る。

 先生が持ってきてくれた帯は、確かに青い。

 青帯だ。

 真面目な話、それからどうなったのか記憶がまだらだ。青帯巻いてもらって、動画と写真撮ってもらって、認定証もらって、なんか覚醒してる時のように(夢ははっきりと知覚する、しかしこれは現に覚醒してる時の話だ)、おぼつかない。

 先生に礼を言っても言い尽くせない。それに何より、先生の先生、今少し体調を崩して休まれているY先生。それで今日の練習始まる前に姿を見せてくださったのだと納得したが、Y先生にはどう感謝をしていいかわからない。この道場に入門したのも、続けられたのも、先生方や先輩方、同期の方々の雰囲気があったからだ。

 一言で言うと、「フランク」なのだ。

 練習中はポップミュージック流れる(今日は「ラブストーリーは突然に」のカバーが一瞬流れて「小田じゃねえよなあ」「小田じゃないっすねえ」と言う会話が飛び交っていた)、スパーリングの強制なし、休憩自由、水飲みもちろん自由、そして何より、柔術を大事にしているもの同士の信頼に基づいた緩やかな空気、みたいなのが流れてる。すいません変な文章です。

 そもそも僕が柔術はじめたのは43歳。『スロー・リバー』出して人生最も調子こいてた時期である。

「何か格闘技やりたいなあー」

 と何となく思った。格闘技、見るのは好きだが(これがいかにボーッと見ていたか後にわかる)、経験は全くゼロ。それどころか、生まれてから、スポーツ、というものをやったことがない。

 そんな人間がこの歳で、格闘技なんてできるのだろうか。どう考えてもできるはずがない。

 一応、伊那にブラジリアン柔術の道場があるのは知っていた。「IMPACTO JAPAN 伊那」と言う。

 かなり大きい組織の一部らしい。がっつりやってる系らしい。

 検索かけては、躊躇って、でもやりたいな、と思って、結局眠って、僕はどんどん歳をとってゆく。

 そんな迷いの日々、年末、川柳の用事で東京に行った。

 カプセルホテルで、風呂に向かうと、対面から歩いてくる見知らぬ人がいる。東京なんて見知らぬ人ばかりの都市砂漠だが、そのガタイがいい若者、「IMPACTO」のTシャツを着てたんである。

 え、何これ偶然は存在しないとかそういうフロイトとかラカンの世界なのこれ、何か話かけようと思ったけど「あなたの所属するジムに入門しようかどうか迷っている者です、こんばんは」って明らかに不自然だしなあ。などとその「IMPACTO」シャツの人をじろじろ見ていたら何となく不審がられたっぽい。当然である。

 それがきっかけというわけではなかったのかもしれないが、一ヶ月後、伊那のIMPACTO道場の門をくぐることになる。さて川合老人の運命は、というところで次回に続く(かもしれない、投げっぱなしが得意なので断言できません、すみません)。

  

  水星に実存しないブルドッグ  大祐




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