膚の下

あなた/わたしの重なる地点の狭さ


十一月二十八日

 久しぶりにブログ書く。

 この市のあたりでもコロナウイルス感染者がぽつりぽつりと出始め、柔術の練習も微妙なところ。現在、先生からの連絡待ちの状態で、しょうことなしにキーボード叩いている。

 宙ぶらりんな状態。

 さらに宙ぶらりんなことに、机の横に僕のベッドがあるのだが、千春さんが眠り込んでしまっている。おお、なんか赤ワインのグラスの横に、ピアスとか置いてありそうな状況だぞ。ついでに僕は白いバスローブね。

 ……などと言うことはまったくなく、千春さん、睡眠不足で操体の教室行ったら、気持ち悪くなってしまったらしい。午後はほぼダウン。

 さっき「だいすけくーん! だいすけくーん!」と呼ばれたので、彼女の部屋に駆けつけて、

「お待たせしました、姫」

 と言ったら、その「痛い」ギャグを完全に無視されて、こちらがかなり恥ずかしかった。いやまあ、千春さんにはそんな余裕がなくて、

「金縛りで動けないー」

 と呻いていた。

「なんか不安だよー」

 そんなわけで僕の部屋に連れてきたら、ベッドで眉をしかめて眠ってしまった。さっき「うーん」と苦しそうな寝言。

 まさか本人もこうして実況されてるとは思うまい。ははははは。いや笑っていいのか、倫理上。

(また「うーん、うーん、うーん」と言った)

 千春さんにはいつも苦労をかけてる。

(僕は「お粥炊くよ」と言っておきながら昼寝してしまったので、彼女が自分で作った。ごめん。後で口でも謝る)

 彼女も彼女の苦労を持ってる。

 僕も僕の苦労を持ってる。

 どうしたらこの二人は、ちゃんとした関係になれるのだろう? というか、僕が「ちゃんとした関係」を望んでいないだけなんだという気もする。昨日ラカンの『精神分析の四基本概念』を読み終わったのでそういう気になっているだけかもしれない。

 ラカンの文庫本って画期的だよね。岩波攻めてる。しかもセミネールかあ。若い頃はとにかくラカンはわからない、ってのが(まあ「エクリ」だからね)定説だったし自分の印象でもあったんだけど、この歳で読んでみると(しかも「セミネール」のほうね)、やっぱわかんないんだけど、時折、異常にわかってしまうところ(と感じてしまうところ)があって、これはやっぱり怖い書物だと思う。と、いう80年代な語り口になってしまうのが恥ずかしいし怖い。

 怖い、って言うのは間違いなく責任転嫁。

 映画『レスラー』でミッキー・ローク演じる老プロレスラーが「80年代サイコー!」って言うんだけど、あの「痛さ」は自分にも感じる。そういう中年男性でしかないのだよ、君は。

 で、他者の欲望とか、そういう言葉が頭をぐるぐるしてるんだけど、それで自らの生活を分析しようなんて危険にも程がある。

 ただ、感じたことを書くならば、僕は千春さんに頭おかしいくらい(実際におかしいんだけど)感情を抱いてしまっている。

(また「うーん」と言った。鼻先を掻いた)

 それがどういうことかなんて、わかり過ぎるほどわかってしまうから、わからない。

 わかってしまうのはラカンの頁を開いた一瞬に相似形をしている。

 とりあえず、今は千春さんを起こして自分のベッドまで送り届けた方がいいのか、このまま自分の寝台に彼女を寝かせて(囚えて、とプルーストなら言うかもしれん、知らんけど)、ずっと深夜までいたほうがいいのか、おそらく決める主体は「僕」ではないのだけれど、選ぶ人間は僕しかいないのだった。

「すうー」って深い息。手首を掻く。たぶん彼女はもうすぐ目を覚ます。

 彼女の人生の中に、僕の人生の中に、土曜日が更けてく。十一月最後の土曜日。2020年が終わるのが、無闇と寂しい日。


  氷島でゴムを作っている婦人  大祐

 

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