わたしの外に、わたし以上の「こと」を |
十一月二十九日
柔術の道場がしばらく休みになってしまった。しょうことない、とは昨日も書いた言葉。青帯になってから一度も他人とスパーリングしたことがないのだが、本当に自分は青帯でいいのだろうか、 などと悩んでいてもしょうことない(二度目)。
せめて休日くらい、うつしたりうつされたりの危険は避けよう、と市の外れの集落に行く。駐車場でギンズバーグ読んで、道を歩いて誰ともすれ違わず、ギンズバーグ読んで、帰りながら、何か忘れてるなと思う。
思っただけで昼飯。なぜか九州から冷凍保存されてきた鶏めし。
食事後、「ちょっと休むね」と言っておきながら自室で川柳書き出す。
言うまでもなく穂村弘さんは短歌だし僕などとは比べものにならないが、「なんでもいいや、と思って書き出していると、10首目くらいからこれは、と思えるものができてくる」という意味の発言を昨日の朝日新聞でされていた。(これはツイートもした)。
この発言に励まされた、ともツイートしたが、あらためて穂村さん凄すぎる。
だって、わずか10首目くらいで「乗って」くるんだよ?
僕は28句書いても、56句書いても、112句書いても「くず」しか手元に残らないことが多いのに。10首目でこれは、と思う穂村さん、やっぱり僕なんかとは比べる方がおかしい。
と彼我の差を嘆いていてもしょうことない(三度目)ので、川柳をひたすら書く。
セブンイレブンのリングノートに、1ページ14句。この単位でキリをつけていくと、何か自分のリズムが出来上がる、気がする。
「乗って」いるわけでもないが、時おり、原口文仁がヒットを打ったような感覚が、本当に時おり閃く。その快感のためだけに、ひたすら言葉をいじくる。今日は42句あたりで、一本シングルを打った感じ。錯覚かもしれないけど。
でもその錯覚がなければやっていけないし、やってこられなかった。後で見返して、「あああああわああああああううううう」と五七五で未熟さに悶えるけど。五七五ででは嘘です。すいませんとすかさず謝る社会人。立派だ。
などと自画自賛してもホームランはなかなか打てない。来年で川柳はじめて20周年だけど、本塁打って、通算3、4本じゃないのか。とっくに戦力外通告を受けておかしくない老害。老害とは思わないが上本にあの扱いはないだろう阪神、何の話だよ。
非効率の塊のような創作方法だが、これしか知らないので仕方ない。知りたくないのかもしれないが。バットを振るって快感じゃね? 良くわからない同意の求めかた。
そんなわけで67句作って夕ご飯。お好み焼き食べ終わる頃には、すっかり頭痛が痛い馬から落馬状態に陥っていた。
それでもあと3句作って、今日は70句。シングルヒットは1本かな。しょうことない(もう数えない。好きなのかこの言葉)、7句だけツイートして横になる。頭痛はぼうっと痛い。ボーッと生きてるからだよ。
で、これもやはりツイートしたんだけど、あと5ページでノートが終わる。5×14=70。そして明日も仕事は休み。さあどうしましょうねー。自己責任(やな言葉だ)でどうぞ。
思い出したのだが明日は忙しい。柔術の練習の日は必ず履いていたトランクスが破れたのだった。破れたトランクスは悲しい。僕は猛烈にトランクスが欲しい。さあどうしましょうねー。最寄りのしまむらまで五時間かかってのう。嘘です。すぐさま謝る社会人。いや社会人としてどうなの? 自分?
「川柳が……したいです……」
だからなぜバスケ漫画金字塔のネタに走るかな。だらしない文章。僕が川柳書いてるのって、単なるだらしなさなんじゃないかという気もする。寝よう。
乱射後に鬼役が目を隠す意味 大祐
(注:ファウルフライです)
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