この世を離れて その世が無くて |
一月十六日
というわけで、みんな御嶽海にもう少し優しくしましょう会の川合です。いいじゃん、長野県から「関取が出た」ってだけで。そんなこと何十年にいっぺんなんだからさ。優勝も二回したし、これ以上の幸せを望むのは、(少なくとも長野県民は)欲張りすぎでしょ。だいたいみんな、別に相撲が好きってわけじゃないじゃん! 温泉施設で盛り上がるのが好きなだけで!(暴論)まあともかくこの世情、相撲取ってるほうがおかしいわけで、みーたん賢いから今場所力抜いてるんじゃないかな、とか。まあその賢さで自分の足引っ張ってるきらいはあるような気がしますけどね。はあ、なんか今日も負けそう。って僕も欲張りな長野県民だ。
だいたい、ひとつのことをやり続けてる人に、「やってない」人が文句を言うな、とは言わないけど、何だかちょっとそれみっともなくない? 的な感想を抱いてしまう。相撲に文句を言うなら、相撲取りになってみろ! 的なお叱りもどうかと思うが、僕も感情的にはそっちのベクトルに近い。というわけで、相撲に文句を言うために増量中! とにかく筋肉を増やしたい! 腕立て! 腕立て! 無理だワニの腕立て! だけどパートナーからは「ゴリマッチョは嫌い……」と言われる。さあ僕はどうしたらいいんだ……。(川柳を書きなさい)。これが自分の今の生きるテーマなのに……。(川柳を書きなさい)。
というしょうもないマクラで、「テーマ」について。上述見てもわかる通り、テーマって、くだらないでしょ。はいすみません暴論でした。
でもね、他人から見たらどうでもいいこと、をあくまで押し通す、からテーマのテーマ性があるわけで、アホなテーマほど「作者の言いたいこと」は際立つような気がする。
アホ(バカでもいいけど)は、嫌いじゃない。
自分をアホ(バカでもいいけど)と思っていないアホ(バカ以下略)も結構好きだ。
だけど、「テーマ」っていうのは自分の押し付けであるっていうこと、そのことを僕は忘れないようにしたい。あくまで「したい」であって結構しちゃってるけどな。だってさ、「テーマ」って正義になっちゃうじゃん? 正義ってのがアレなら、絶対領域というか。いやそれはたぶん違うな。「絶対」と言えばいいのか。
「テーマ」を掲げるとき、そこにどうしようもない権力が発生してしまう。逆に受け取る側はあまりに無力なんだけど、そこで読者(としておく)が無辜かといえばそんなことはないわけで、読者はとんでもないひねくれ方をしてしまうのではないか。グレる読者の発生。俺たちはミカンを作ってるわけじゃない。このネタもう通じませんね、はい。
かといって「テーマを持たないのがテーマです」ってのもなあ、どうも、なんか、偽善くさい。いや偽善は好きなんだけどね、個人的に。あくまで偽善とわかってるならそれで良し! 本気で「正義」を信じちゃってるのが、偽善偽悪含めて、駄目みたいです。特に権力持っちゃうとね、「やれやれ」な感じ。
他人を支配したいのが、作者の欲望。
そう言っちゃ身も蓋もないし、そうでない人もいるのだろうけれど、少なくとも僕にとってはそうなのだ。
だからそれを「悪」だなんてすまし顔で言えない。
自分には「それ」があってしまう。
ただ、そこに、「それ」があるって、それだけなんですよね。
「テーマ」をテーマにした話でした。なんか今日ウスボンヤリとした抽象的な話ですみません。いつもか。
具体的に言うと、今日御嶽海勝ったら嬉しいなあ、でも負けたほうのファンは悲しむだろうなあ、勝負は残酷だし、だいたい今この時期に相撲やるなよ、と言う単純な感慨である。
それでも生きてくのが人間。あしたはどっちだ。
虚無主義者水飲んでいるだけの歌詞 大祐
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