明日を越える旅

明日をあらしめるように


一月二十二日

 はぴばす! って言葉があるのか知らんけど、ハッピーバースデー千春さん。今夜所用あって本人不在! 僕は仕事も休み、暇なのでケーキを焼いた。その不慣れな手つきと、一昨日までしていた壮絶な喧嘩の思い出をお楽しみください。あれは悲惨な戦いだった……読んでいるお客さんは楽しめないかもしれんが、君もそのつもりでいたまえ(誰に言ってる)。というか、僕、かなり最低です。


材料を用意します
 卵、粉、砂糖、バター。バターは湯煎で溶かしておいた。どうなるかわからない。未来はわからない、と言うほどの未来でもない。


 そもそも月曜日、一月十八日の晩のことじゃった。彼女から「ちょっと来ない?」と部屋に呼ばれて、こたつに横になっていると、彼女、眉間に皺寄せて視線を畳に落としてる。
「え、なんか、僕、気分を害するようなこと、した?」
 したって言うか、
 と彼女はため息をつくように、
 友達がいなくてさびしくないの?
 と訊いた。
 ぐさあっと来た。
 僕の周囲に僕は友達はいない。けれどあなた、この前「別に今は無理して友達を作らなくてもいいと思うの」って言ってたじゃないか、僕はこれでも毎日頑張ってんだよ、仕事も、家事も、勉強も、とは言わなかったが言わなかったのがいけなかったのかもしれない、どろどろした怒りが気管を圧迫して、僕はただ、
「そういう言われ方は嫌だ」
 とだけ言って襖をばああん、と閉めた。夜の暗さは覚えてない。


卵と砂糖を混ぜます

 

 まず鶏卵! 混ぜる! 攪拌機があってよかった鎌倉幕府! 意味はない! 湯煎するときボウルが湯に入らないので、ひと回り小さいのに移した。後先を考えないからこうなる。考えるな混ぜるんだ。とにかく自分をいかに飽きさせないかが勝負。そういうもんだろうか。BGMをグリーン・デイにした。S.O.Dよりはいいかなと思って。音楽のセンス皆無である。わはははは。美味しくなあれ美味しくなあれ。ロッカーがケーキ焼いてんじゃねえよとは思うが、自分、別にロッカーでもなんでもなかった。

 月曜の晩、何もかもぶち壊してしまいたかった。世界を憎んだ。自分を憎んだ、同時に彼女を憎んだ。だから自分を壊そうと思った。換気扇をつけずに給湯器から熱湯出しっぱなしにした。馬鹿らしくなった。それでも気管のどろどろは消えなかった。睡眠導入剤とリスパダールの液錠を×五日分飲んで、眠れないなあ眠れないなあと思って眠った。


小麦粉をふってさっくり混ぜます


 だいたい性格的にさっくりしてないんである。こんなドロっとしたものに粉入れたら、さっくり行くわけねえじゃねーかよー、と思いつつ、レシピに書いてあるので従う。マニュアル世代の悪癖。しかしさっくりってどういうことなんだ、あまりにも主観的すぎる情報を、なぜ人類は(日本語圏内において)共有できるのか、……はっ、これ明らかに混ぜすぎ? 混ぜるな危険。暴いておやりよドルバッキー。どうでもいいがドルバッキーが一発変換できたのでMacを見直している。


 火曜日。仕事が休みなのがさらに良くなかった。睡眠薬と安定薬で起き上がれない。彼女が大祐くん、大祐くん、と揺り起こそうとしてくれたのは夢うつつに覚えてる。あー、いっぱいのんだねー、と言ったのも。その日一日ベッドに横たわってた。悪夢は見なかった。彼女が「わたし負けないで頑張る」的な(少なくとも僕にはそう読めた)ツイートをしてるのを読んでしまい、泣きたくて泣けなくて、彼女の部屋に怒鳴り込んで、ありとあらゆる罵倒の言葉をぶちまけた。彼女の表情は覚えていない。夜中、彼女が団地を出てゆく音がした。彼女の車、ガソリン入ってたかなあ、と妙に静かに思って、そして眠ってしまい、どろどろしたまま、やはり楽しい夢を見てしまった。


型に入れて焼きます


 
 ふっふっふ。少しは先見の明があるのだよ明智くん。そろそろ本能寺だね! ってそっちの明智かい! などと一人ボケがうるさいので先に進めると、型にバターを塗って冷やしておいたのである。あとは具を注いで焼くだけ! 超簡単! と思ったら手製の敷紙が襞つくってて具が流し込みきれないでやんの。うっかりしていたよ小五郎くん。そろそろ大政奉還だね! ってそっちの小五郎かい! ボケうるさいですね。オーブンに入れます、おとなしく。何を暴れていた。



 水曜日。目覚めて一人なのだと思う。一人だと思っているうちに頭が変になってきた。自分を殴る。酒を目につくだけ飲む。泥酔する。千春さんが帰ってきた時の記憶がない。ひどく、かなしい顔をしてたと思う。それは信じる。僕は悪罵したような気がする。毒に浸り切って、体が悲鳴をあげるまで眠った。
 ふと目覚めると、不思議に静かな気持ちでいる。
 彼女と話をしようと思った。彼女に自分の気持ちを伝えようと。拙くてもいいから自分の言葉を使おうと。
 その時、川合家の状態をTwitterで知った人から電話をもらう。
「いま静かな気持ちです。これから千春さんと話にゆきます」
 というと、その人は「よかった、よかった」と泣いてくれた。僕には友達がいるのだった。千春さんの部屋まで二メートルもない。それは僕と彼女の距離じゃない。彼女と僕は病人だ。だけど、でも、だから、でもなく、二人はただ一緒に生きている。生きていたいと思う。それだけのことだった。
 僕は歩き出す。


粗熱を取って型から出し、一晩冷やします


 なんとか形にはなったよ! よくもまあできたもんだ。四捨五入で五十歳のひとりでできるもん。やっぱり襞のとこ、ケバになってるなあと思いつつ、まあ人生にはいろいろある。それだけのことだ。クリームとか飾り付けは明日。それがうまくできるかは、はっきり言って自信がない。それには自信があるくらい。でもまあ明日、明日のことはわからないけど、生きてゆくしかないんだなあ、と思う。こんな最低な自分でも、生きている限りは。


 木曜日。「明日はケーキを焼くね」と約束して仕事に行く。「無理しないで待ってるよー」と彼女が言う。少し二日酔いの頭が痛い。帰り道、ジュースを買って、いつも通りスロットに当たらなかった。明日は当たるかもしれない。明日がくれば。

 僕はたぶん、幸せなのだと思う。

夢の跡

  芋の中二人入って二人出て  大祐

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