去年を待ちながら

 

格言のようなこんにゃくを買いに


三月二十四日

 こんにちは。アーネスト・ホーストの椅子攻撃も懐かしい2020年代も2021年、みなさま変わりなくというメタモルフォーゼを繰り返す日々かと思います。
 第二句集『リバー・ワールド』、入稿寸前まで来ました…4月9(日)に間に合うが、どうかASAYANの視聴気分で見守ってくださると日本の未来はウォウウォウウォウですがたとえが古い!

 せめて鈴木亜美にしろという声もありますが(無い)、そういや時東ぁみってどうしているんでしょうか。などと現実を逃避するブログを書いているのも、現実を逃避したいからです。無茶苦茶な日本語。これで川柳作家名乗っているから笑わせる。

 正直不安なんですよ。昂る魂もあるけれど、それ以上にビビりです。なんかやり残したこといっぱいいっぱいありそうで(高見山ネタなんて誰がわかってくれると言うんだ)、これで良かったのかと押しつぶされそうなプレッシャーと高揚感に引き裂かれて、日本の未来はウォウウォウウォウです。加護ちゃんしわせになってくださいね。ウォウォウの時はまだいなかったけど! 第一僕はASAYAN見てなかったけど! 田舎ではテレ東映らないんだよ! 東京も所詮田舎。ふっ、そいつは一番弱いやつだ、って何のジャンプ漫画だよ。

 まあ、今に比べたらましな時代ではあったと思うぜ。あのホーストがイス攻撃からスクールボーイ。いややっぱり悪夢的な感じはする。ずっと間延びした悪夢。それでもそれから後の連打される悪夢の社会に比べれば、ま、のどかだったんだろうな。

 ふと考えますよ——脊髄反射してるだけかもしれないけど、自分なんていなかった方がいいんじゃないかと。それはたぶん自分がこの世にいたい、という強烈なエゴの裏返し、というかそのまんま顕在してるだけですね。それも悪夢だ。
 
 悪夢の世界と悪夢の自分。リンクしてるかはわからない(ふりをする、当面)。だけど僕は自分が今、猛烈に作品を作りたい。
 
 エゴなんだろうけどさ(「それは、エゴだよ!」とは言い尽くされてるから言わない、と言うパラドクス)、人間は100パー死ぬんですよ。僕は死んだら自分の作品を見られないけれど、誰かが見てくれるかもしれない。ミニモニ。も500年後に誰かが(異星人かもしれない)一緒にひなまちゅりしてるかもしれない。お分かりの通り私は加護ちゃん派です。石投げてください。何の話だったか。僕の死後には僕はいない。だから想像力なのかなあ、人が(しつこいかもだけど、異星人かもしれない)自分の句を見てくれるというビジョン。これが持てない。僕には決定的に想像力が欠けている。それでも、何かが見てくれると言うこと——それが救いにはならないとわかっているんだけれど。

 みんな忘れているかもしれないけど、アーネスト・ホーストの椅子攻撃は周期的に思い出される気がする。
 だからみんな、反則負けでいいから、つくりましょうよ。何だっていいんだから。お分かりのように僕にはアルコールが入っています。明日見たらすぐさま消すかもしれません。それも悪くはない。消えないものなんてない。だから消えないものをつくる(つくりたい)。

 いーんだよ! 川柳なんて消えちまうもので。それよりホースト見ましょう、ホースト。僕がいる限り僕の認識するホーストは消える可能性がやや減る。減るをなくなる、とは言えない。今日もイヤホンを失くしたしね。さーて、どれだけ失えるか。冒険譚ってそういうものじゃないの? フィリップ・マーロウはスタートでアイテムゼロだから、あんまりなくさない気がする。

 そろそろ駄文を消してしまおうか?

   ペンキ屋の肉体捨てる春の午後  大祐

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