メカ・サムライ・エンパイア


檻で話す言葉は、檻を示せるか

 


 十一月一日

 

 米英の言葉(しかし「鬼畜米英」って追い詰められたもののみが発するパワーワードだよな。全く良いものじゃないけど)に携わる仕事をこのところしているのだが、

「wrestling は何故 restlinng と綴ってはらないのか」

 というジョージ高野クラスの質問に答えらなかった。色々駄目である。というかアストロノーツ凄いぞ。色々な意味で。

 で、カフカの『アメリカ』(正確には『失踪者』ね)読み返したいんだけど、手元に角川文庫版しかない。これが、あの、その、素人が言えることじゃないんすけど、翻訳がアレで。まあ「アメリカ」って言ってる時点でアレっすよね。現在積読中っす。いや池内版買えよ。でもさー、正しいのかもしれないけど『アメリカ』のほうが『失踪者』よりなんか萌えるんだけど。萌えだってさ。唾棄。

 それはともかくアメリカというのはテーマパークなんだなあ、と適当なことを考えてみる。「永遠に本質に辿り着けない場所」としてのテーマパーク。カフカもアメリカ大陸に行ったことないのが理の当然。だから『アメリカ』であって欲しいんだよなあ(しつこい)。

 で、テーマパークの国というのは「テーマの国」なわけで、テーマというのは「何かを(あるいは全てを)禁じる」行為だと思うのです。

 日本における「アメリカ」がテーマパークである(すなわち、日本が「アメリカのテーマパークである」と換言できる)として、今更だけどディズニーランドに行き着きますよね。

 んで、ディズニーというところは「禁止する」主体なわけです。どう考えても。中学校の卒業記念壁絵のミッキー塗り潰す都市伝説。

 例えばそこからアメリカ人の「ハイク」≒俳句への過剰な反応を考えてもいいいのだろうけれど(わかりやすく言うとディックの『高い城の男』の蕪村。わかりやすいだろうか)、もう今日はそういうことしません。また明日にします。できたらだけど。

 というわけで「アメリカの言語」というのは「禁じられた言語」であって、ジャパニーズが「英語」に異様な反応を示す(遮断するか沈溺するか)のはその辺にあるんじゃないかと仮説を立てておく、と強引にまとめて、今日は寝ます。グッドナイト。色々煮詰まってるなー。

 

  ボクサーのアンソロジーに洩れる朝  大祐


追記

 ほっともっとのカキフライ弁当が美味しかった。

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