都市と都市


隠蔽はおおげさに為される

 

十一月十四日

 いよいよ西澤デパートが解体されるらしい。

 今日商店街に行ったら防塵シートが被せられていた。

「西澤デパート 伊那」で検索していただければどんな店舗かおわかりになると思うが(高度情報化社会、笑、の投げぱっなしジャーマン。あ、この言葉も不明でしたら検索を。堕落した人間というテーマ。余談)、まあ、伊那谷に「五階建ての建造物」なんて他になかったんである。もう四〇年も昔の話。(ちなみに、西澤葉火さんとは無関係のはずである。はず)

 なんと「二階までは」「昇りのみ」の「エスカレーター」なるものが設置されていて(つまり昇降しないんですね)、その未来感覚に、僕は震えた。これは真剣に言っている。畏怖していたのである。

 なお、三十年くらい前に東京から越してきた某Cさんは「なんて田舎に来てしまったんだろう……」と少女心に思ったらしい。いーんだよ。どうせ田舎だよ。西澤のあった「通り町銀座」ってアーケードにでっかい「王冠」のイルミネーションかがやいてたんだから。確かに田舎だこれは。それは認める。

 認めた上で凄いよ! 五階に食堂があって、そこで水を満たした透明プラスチックのコップと、その汗をくっきりと覚えている。

 地元でこのデパートの話題になるたび、

「そういえば、屋上に観覧車があってねえ」

 という想起がなされるのだが、僕はこの観覧車を覚えていない。

 カンランシャ、という言葉の響きは痛苦のように刻まれている。

 カンランシャ、という言葉が好きだった。カンランシャ、というものに乗って見たかった。祖母の家で「カンランシャのりたい。カンランシャのりたい」と暴れまくった。

 結果として母と祖母に連れられて、どこかに行ったように覚えている。「どこか」なのだった。それは間違いなく西澤デパートではなかった。遠い遠いよその都市であったのかもしれないし、どこにも辿り着かなかったかもしれないし、どこだとしてもまずカンランシャには乗っていなかった。

 それが突き刺すように、今の自分には痛い。たぶん、カンランシャは存在していなかったのだ。いや、存在してはいけなかったのだ。僕が求めていたのは観覧車、ではなく、カンランシャ、だったのだから。

 それをねだって泣き喚く子供を、大人はどんな目で見ていたのだろう? あの時の大人はどれほど痛かったのだろうか? 大人であることは罪じゃないはずなのに? 自分はあれから少しでも大人になったのだろうか? 僕はあの時から、カンランシャを見たことがあったのだろうか?

 観覧車から見る景色は引き伸ばされた一瞬で消える。僕は伊那市内を観覧車から見たことがないし、これからも絶対に無い。

 それは自分にとって、とてもよかったことなんじゃないかって、営業活動をしていた伊那市通り町商店街を去りながら、車の中で思った。「ブライトライツ、ビッグシティ」が流れていた、小さな田舎の都市。

 

  落丁のままに沈んでゆく母艦  大祐


追記

 そんな伊那市で「現代川柳を学ぼう」という講座開きます。こちら→https://geibun-iaca.wixsite.com/mysite-1

コメント