宇宙をぼくの手の上に

すべてが〈なにか〉の中心であるのなら


十一月二十三日


 勤労感謝の日。

 千春さんが「句作に行き詰まったから、打開策としてプラネタリウムに行きたい」と言うので行くことにする。

 僕は、

「うわー、初めてだよ、プラネタリウムとか行くの」

「私は、東京で行ったかな。小さいころ」

「渋谷とか?」

「うん」

「……ごめん、行ったことあるわ」

「だれと!?」

 すまん。しかし勘が鋭い。僕も大学生で相手も一年後輩だったのです。ごめんなさい。いろんな方面に向けて。渋谷のプラネタリウム、なんて名前だったか。

 午前中に弁当作る。鮭を焼いて、ご飯にふりかけ混ぜて、千春さんはキャベツをオイスターソースで炒め、前日から美人漬け(と呼んでいる大根漬け)と煮卵を用意していた。僕がご飯に穴を穿って卵の断面が見えるように埋めたら、「いいアイデアだねー」と褒めてくれた。うれしい。ごめんいましあわせだわ。

 車の中で食べる。美味い。しよっぱいものは美味い。

「弁当って、なんでこんなにおいしいのかなあー」

「弁当作りで疲れて、塩分を欲するからじゃないか」

「ふーん。一理あるかも」

 と千春さんは納得したが、いやまてそれはマッチポンプというか、ある種の永久機関では無いか。無いです。

 文化会館に着いて、友達と待ち合わせている間に、県立美術館の巡回展を観る。障害者割引が利いた。だからというわけではないが草間彌生ちゃんが一番心に沁みた。ていうか病気は病気を呼びますね。いい意味で言っています。

 まだ時間があったので公園のベンチ。

 遠くで小型犬がフリスビーと人間と戯れている。

「私ね、大祐くんより、絶対さきにいなくなるような気がするんだ、この世から」

「気が合うね。僕も一日、いや一秒でもあなたより長く生きようと思っている。意地で」

「よくやってきたよねー」

「よくやってきた。やれるよ。これからも」

 風が冷たい。館内にまた入る。自動検温機。

 友達と合流してプラネタリウムへ。

「すまん」

 と僕はまず謝っておく。

「これは絶対眠ると思う。起こさんどいて」

 シートを倒すと確実に寝心地がよいのだった。案の定、「本館では、新型コロナウイルス対策として……」とお姉さんがアナウンスしてる時点で意識をなくす。目をさましたら「うお座」の探し方を説明していた。僕はうお座です、と誰に対してでもなく言う。

 番組がはじまって、旅人が少年に宇宙の不可思議を説くのだが、なんかアーバインっぽい声だなあ、と思っていたら最後のクレジットに「藤原啓治」とあってしみじみする間もなく、「矢島晶子」と続いて正直びびりました。ちゃんと美少年モードの声でした。野原家永遠に。

「プラネタリウムと言えば、穂村弘さんの『点滴をこわがる妹のためプラネタリウムに放て鳥たち』だよね」

 と知ったかぶりで言ったが、


  目薬をこわがる妹のためにプラネタリウムに放て鳥たち  穂村弘

 

 だった。点滴してどうする。帰って、疲れてなにも書かず風呂入って寝てしまう、はずが『大いなる幻影』(ジャン・ギャバンのほう)と『イノセンス』(大塚明夫のほう)観てしまう。どっちも変な映画だった、あらためて。川柳書けや。

 

  大宇宙展示館へとつけびして  大祐

   

コメント