ただひとつのものを |
十二月十五日
前もたぶんこのネタ書いたと思うがあえて今日書く。
上伊那に全日本プロレス来たことがあった。武藤敬司体制の。武藤が全日の社長。今から見ても、過去から見たとしても違和感あるよなー。面白かったけど。ジャマール最高だったけど。でも僕らの知っている「全日」じゃなかったけど。でも面白かったけど。でも悪役が本当に悪人だったりしたけど。でも特に誰とは言わんけど。
と、「でもけど」が止まらないあなたにドラマ始まっている時代の全日だったのです。
ちなみに征矢学選手の地元ということで征矢選手大プッシュだったのです。結成されたばかりの大森とのタッグチーム名が「Get Wild」。これで「あすふぁるとたいやをきりつけなーがーらー」の曲で入場してきた時は会場中があまりのベタさにコケました。
話が前後した。試合開始前、試合はしない武藤と若手だった大和ヒロシがリングにあがり、「客席のあっため」をしていた。
大和が「モノマネが得意なんすよ」と言って披露したのが、
「お〜い。鬼太郎ど〜ん」
「何だそれは」
と武藤が突っ込む。
「一反もめんです」
「反応薄いぞ。他にねえのか」
「今週のビックリドッキリメカ〜」
「ヤッターマンか」
「ヤッターマンのボヤッキーっす」
「なんかイマイチだな。もっと他にあるだろ」
「悟空〜、まかせたぞ〜」
八奈見乗児しかできねえんじゃねえか! という客席からのツッコミ野次を期待していたのだろうが、ここは後楽園ホールではない。クソ寒いど田舎。「あはは」という微妙に寒い笑いで大和選手正直スマン。長野県上伊那郡はお笑い不毛地帯なのです。ちなみに、モノマネひとつひとつの完成度は物凄く高かった。まあ、ぜんぶ八奈見乗児さんなわけだが。
(なお、大和ヒロシ選手のモノマネレパートリー、実際は大量にある)
というわけで八奈見乗児さんがいかに日本人の心に(もしかしたら、というかかなりの確率で、世界中の人々の心に)刻まれているかという良い例証になるのではあるまいか。
人はなぜ模写に腹を抱えて笑うのか。絶対無二の「それ」がコピーされること。その恐れおよび違和感が、人に笑いの防衛本能を起こさせるのではないか。だからモノマネされる「それ」は絶対無二のそれでなければならない。(例えば「細かすぎるモノマネ」においてもこの点は同じだ。「細かすぎる」という絶対無二)。
「おじいさん声」と言ったら八奈見さんで、それは何にも代えがたいものだった。僕もその刷り込みがあったせいか、伴宙太とか車弁慶とか「キャッチャー属性」が一瞬違和感あって、だから妙に心に残ってました。
つまり八奈見乗児さんのキャッチャー役は、武藤の全日社長時代なわけですよ。なんだその結論。
こんなふざけたことでも書いてないとやってられない。八奈見乗児さん、永遠に生きてるもんだと思ってた。自分は馬鹿だ。なくしてから気付く。
ご冥福をお祈りします。
論考の更に論ありポチッとな 大祐
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