巨人たちの星

 

ひとが背負えるかぎりの、すべての〈こと〉を

一月三十一日


 若林アナ「(興奮して)馬場さあん! アキレス腱固めというのは、どこが痛いんですかあっっっっっ!?」

 解説馬場「……(絶句して)そりゃあ、アキレス腱に決まってますよ。……(不機嫌そうに)バカなこと聞かないでください」

 

 などというやりとりがあった九〇年代全日本プロレスの放送席、最高すぎる。おそらくマレンコ兄弟がらみの実況だったのか、記憶が定かでなくすまん。ただその翌日、新日派の連中から「馬場がアキレス極められたことなんてあるのかよ〜」とやっぱり馬鹿にされていたのであった。

 だからこそ! 約四半世紀を経て言いたい! ジャイアント馬場はグラウンド好きだったと! 甲子園に行きたかったから、などという駄洒落を言うつもりはない! 言ってて自分が虚しくなったから言わない!

 それはそうと馬場、全日の道場ではボディシザース、またの名を大蛇じめ、つまり背後から両脚で相手の胴体を絞めあげる技を駆使して、若手連中に悲鳴あげさせていたという伝説が残っている。その若手連中ってジャンボ鶴田も入ってるからね、念のため。

 これももう遠い過去の話だが、PRIDEでミノタウロ・ノゲイラが対戦相手をバックから両脚で締め上げ続けた局面があって、「あ! これ馬場さんの大蛇じめだ!」と思ったことがあった。僕の記憶のなかのノゲイラで、一番わかりやすい痛みがこの技である。つまり、馬場はどちらかと言うとノゲイラタイプの選手だったのではないか。

 ジャイアント馬場というとストライカーのイメージが強いが(異論はあるだろう。というか16文をストライクと呼ぶには、僕も躊躇する)、ノゲイラが時々打撃でKO勝ちするように、「打撃もできるグラップラー」だったのではないか。

 なお、ハイキック=延髄斬りとして、ミルコ=猪木説も成り立つ。もっと言えばパウンド=空手チョップとすればヒョードルは力道山だ。つながった! 大笑いであるが、この文章、おそらく他人に通じるまい。誰のために書いてるんだろうと疑問だがそれでよし。

 だから考えを巡らせると、時代が時代なら、馬場はグラップリングで世界王者になっていたのかもしれないのだ。さっきノゲイラと言ったが、今で言うならリダ・ハイサムのイメージ。リダの異名が「ジラフ」なところもグレイト・ゼブラ感があるではないか。はい頭の悪い文章ですね。

 考えても見てほしい。あの巨体。長い手足。運動神経。それに何より冷徹と明晰(この二つは、ひとつの人間に完全に同居するのが稀な特性だ)。想像してほしい。馬場のガードポジション! そこからの三角絞め! それが外れたらすかさず十字にスイッチ! 「アキレスできんのかよ〜」って嘲笑ってる連中に膝十字だ! 何なら跳び関節もあり! もちろん大蛇じめを忘れずに!

 などと書いていて、「生きていてくれたらな」とどうしても思う。馬場存命ならマット界が救われた、などと思わない。むしろ全日界隈は悪化していたと思う。

 ただ、思ってしまうのだ。馬場さえ生きていてくれたらなあ、と。これは鶴田にも三沢にも抱く感情だが、馬場は何かが違うんだ。馬場は死んじゃいけなかったんだよ。だからこそ馬場は死ななければならなかったのだろうとも。われわれは馬場のいない世界にいる。これだけで、少なくとも僕は、「自分」という厄介なものを考えるようになれたのだと信じたい。信じると言うことがいかに不信に満ちているかを知った上で。

 もう二度と、「アキレス腱固めは、どこが痛いんですかあっっっっ!?」と訊ける対象は存在しないのだ。1999年1月31日、馬場正平永眠。61歳になって十一日しか経っていない。

 そのニュースを知った時、世界は確実に終わり、すべての終わった世界がそうであるように、新しく煩瑣な世界の、新たな終わりが始まったのだった。

 それでよし。

 すべてはよし。

 今夜は眠れそうだ。

 

  馬場眠る漬物図鑑ひらきつつ  大祐

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