サマーウォーズ

 

語り得ぬものは語り尽くしてしまったから


六月二十一日
 
 夏至だから、ということを全く意識せずに『ミッドサマー』Midsommar(アリ・アスター監督)を昨日から今朝にかけて観てしまう。「あれ? そういやいま夏至じゃん!」とは開始十五分で気がついた。どういう映画かはこちら→ ミッドサマー こんな手を使うから人類は衰亡するのだった。

 A24ってなんかこう、バイアスかかるよね。良くも悪くも。2019年の映画なのに、自分としてはバイアスのせいで観てませんでした。それが良いのか悪いのかはまあ置いておく。

 で、どこか気になるなあ、とは思っていたのでこの時期に観られたことはラッキーで、しかもやはりというか変なところがない変な映画だった。

 ネタバレとかそういうの一切無視して書いてるけど、映画冒頭で「あ、主人公こうなるな」と思ったことがそのまんまそうなるもん。これは僕の読解力が何ら優れているわけでもなく、映画にミスリードが全くないのだった。

 あ、こうなるな、崖から落ちるな、って思うと落ちる。これは「ベタ」とか「お約束」というのとも違う。ミスリードは無いと言ったがリードの力が物凄くある。観ている側に「こうなるな」と思わせてしまう力というか。確かに「ヘルシングランド」とかベタベタなネーミングだよ。だけどそのベタを物語が成立する素子にうまく組み上げているのだった。

 ふつうホラーって夜の闇だけど、こちらは白夜の陽光の下。これって、「物語」ってものがブラックボックスではもはやない、という昨今の世界的状況(あるいは日本においては特に顕著かもしれず、だからこその今作に対するカルト的熱狂wだったのかもしれない)と連関しているとは言える。

 もう闇は闇として機能しない。ならば全部白夜にしてしまえ! という開き直りがこの映画の肝だ。

 だから『ミッドサマー』、なんら衝撃的ではないし、怖くもない。ここで襲われるなったら襲われるし、流血するなったら流血するし。これは最大限の賛辞である。もう構造、が剥き出しのまま転がってるわけで。で、気がつけばらんららんら花挿して踊ってるわけです。ドラッグが云々言われてますが、これは幻覚が完全に幻覚として作用してない。少なくとも観てるほうはシラフで死体(レプリカの出来が必要以上によい。ハムとかベーコンとか喰えなくなります)尻目に野原でらんららんらしてるのです、あくまでシラフで。

 逆にそれはメタレベルで怖い。

 この世界に「表現」ってものがもはやアウラを失くしてるって宣告だから。

 だけどさ、それって凄いハッピーなんだよね。アッパーともダウナーとも違う、純粋なハッピー。作り手−受け手の「関係の負荷」ってのが極限まで軽減されてるってことだから。主人公たちが誘われたコミューンの醸し出す軽さ、っていうのは、そこから来ている/あるいはそこに誘導しているのかもしれない。

(ついでに言うとこの手の作品にある「閉塞感」があんまりない。一応軟禁されてる体なんだけど、むしろ本人たちが出ていかないし、ネットもどうやらつながってるし。あと、主人公グループをコミューンに誘導した意味ありげな登場人物が、途中から急速にフェードアウトするのも実は理にかなっている)

 で、まあ、僕は川柳作家だから川柳に引き戻して言うと、「川柳」ってジャンルのブラックボックスももはや機能不全な「もの」である、ということだ。いきなり訳わかんない話になったかもしれないが、川柳をつくる神秘っていうものは、現在進行形で、失われていっている。

 それでいいんじゃないかと思う。どんな人もみんな川柳をつくってしまえ! でもたまには俺の作品も読んでくれ! とにかく踊れ! 踊ればなんとかなる! 特に教訓はないがまずは踊ろう! らんららんら(映画ではこういうメロディーではない。言うまでもなく)。

 蛇足。
「インマール? イングマール?」って台詞があるんだけど、絶対ベルイマン観て育った人の考えたギャグだよね。
 

  大学に無かったような金ダライ  大祐
 

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